スリランカで「予防」概念の定着を目指す ‐ 社会問題解決とビジネスチャンス ‐

2017年10月16日

スリランカでは、生活習慣病に代表される非感染性疾患(NCD, Non Communicable Diseases)の広がりが深刻な社会問題となっている。NCDは「食」などの生活習慣を整えることである程度予防が可能だが、スリランカ国内では健康管理や食に関する知識や教育が十分に行き届いていないのが現状だ。スリランカが抱える「食」に関する課題と、徐々に広がる「食育」の取り組み、さらにコロンボを中心に新たなトレンドとなりつつある「ヘルシー・フード・レストラン」について紹介する。

深刻なNCDと食文化における「栄養転換」

WHOによれば、スリランカにおける死亡原因のうち、75%が非感染性疾患(NCD, Non Communicable Diseases)によるものだという。NCDは、心臓病などの循環器疾患、がん、慢性呼吸器疾患、糖尿病などを指す。

図:スリランカの死亡原因
スリランカの死亡原因は、心臓・循環器系疾患が40%を占めトップ。次いで外傷が14%、感染症疾患・栄養不良が11%、がんが10%などとなっている。

非感染性疾患(NCD)=全体の75%
(出所)WHO Sri Lanka NCD

NCD疾患は「食」に関する問題に起因するところが大きい。スリランカの食事の中心はカレーとライスであり、この調理には多量の塩と油が使用される。油は植物性であったとしても、多くがココナツ油やヤシ油など、過剰摂取ががん等を誘発すると言われるものだ。加えて糖分摂取の元となっているのが、スリランカに浸透する紅茶文化である。スリランカ産の紅茶は世界的に認められたブランドだが、人々が日に何度も口にするのは、粉ミルクと砂糖をたっぷりと入れた「キリティー」と呼ばれる甘いミルクティーだ。これらの伝統的な食文化は、地方のみならずコロンボなど都会でもいまだ健在で、スリランカの食卓の大部分を構成している。

このように、一見栄養の偏ったように見受けられるスリランカの伝統料理だが、大手私立病院ランカ・ホスピタルの栄養士であるニローシャ・ガーラゲ氏によれば、「本来の伝統的な食文化は、これらに合わせて野菜や果物も多く摂取しており、現在ほど肥満やその他NCDを誘発することは無かった」のだという。しかし、近代化・都市化・西洋化が進むにつれて、ファストフードやインスタントフード、スナック菓子等を摂取する機会が増加し、その一方で身体を動かす機会が減少したことで、「栄養転換(Nutrition Transition)」と呼ばれる集団的な体格組成の変化が起こっているという。「良くない方向に変化が起きている」と、同氏は嘆く。

課題は知識不足

スリランカ社会の最大の課題は食と健康に関する知識不足だ。「何よりも必要なのは、食についての教育だ」とガーラゲ氏は力を込める。マーリガーワッタ公立病院のスガッタ・ピーリス医師も、「多くの人々は健康面を気にせず食べものを選択している」と言い、「健康的なものと健康的でないものの違いを伝える必要がある」と強調した。

さらに状況を悪化させているのは、広告やメディアによる影響だ。特に子供たちは高カロリー・高糖質の食品やファストフード店による広告に影響されやすく、また、この悪影響から子供を守れるだけの知識を大人も持ち合わせていない。ピーリス医師によると、都市部では特に子供の肥満が増加傾向にあるという。


(左)ランカ・ホスピタル栄養士のニローシャ・ガーラゲ氏
(右)マーリガーワッタ病院のスガッタ・ピーリス医師(ジェトロ撮影)

「食育」の取り組みも徐々に広がる

スリランカでは「予防」という概念の定着が遅れていると言われる。この背景にあるのが、全国民に無償で提供される公的医療制度だ。同国では公的病院における受診は原則無料で、病状に応じて薬代や入院費用を患者が負担する。本制度は全ての国民に無償で診療機会を提供するという重要な社会的意義を体現する一方、病気にかかっても医療費がタダという考え方につながり、病気を「予防」する意識を薄弱にする一面がある。しかし医療費の多くを公的財源が補うからこそ、「予防」の概念を浸透させることは、国家財政健全化に向けた重要課題とも言えるだろう。2016年には、医療福祉費はスリランカの政府支出全体のうち23.1%を占めた(暫定値)。同国では少子高齢化が進んでおり、今後さらなる医療福祉費の増大が懸念される。財政健全化が喫緊の課題であるスリランカにとって、医療費支出の圧縮は急務だ。

表:スリランカの政府支出(項目別)2016年(暫定値)
項目 支出額(Rs.Million)
一般公共サービス 408,176 23.2%
民政 104,519 5.9%
防衛 224,315 12.8%
公序良俗・安全 79,343 4.5%
社会福祉サービス 607,626 34.6%
教育 179,319 10.2%
医療 155,402 8.8%
福祉 251,490 14.3%
地域サービス 21,415 1.2%
経済的サービス 129,435 7.4%
農業・灌漑 63,787 3.6%
エネルギー・水道 1,334 0.1%
交通・通信 48,959 2.8%
その他 15,354 0.9%
その他 612,544 34.8%
利払い 610,895 34.8%
合計 1,757,782 100.0%

出所:スリランカ財務省

行政も対策に乗り出しはじめた。スリランカ政府は公立の病院を通じ、各地の学校で食育に関するプログラムを提供している。また、日本政府もJICAの支援を通じて、長期的にこれらの取り組みを後押ししている。JICAは、(1)保険行政能力の向上、(2)NCD予防と管理の強化、(3)保健医療基盤の改善を三本柱に保健医療プログラムを掲げ、2005年以降継続的に支援活動を展開している。

さらに大手私立病院であるランカ・ホスピタルでも今年から、学校生徒の保護者を対象として食に関する講座を提供し始めるなど、民間部門での活動も活性化している。このように政府・民間双方で問題意識は高まっているものの、一度きりの講義等で食生活を根本的に見直させることは難しい。実生活に浸透する取り組みがより一層必要となっている。

新たなトレンド:ヘルシー・フード・レストラン

食文化の最前線である外食産業では、このような状況を商機として捉える動きも出てきた。経済の中心都市であるコロンボでは、健康を意識した料理を提供する「ヘルシー・フード・レストラン」が増え始めている。ここでは、「食×健康」事情を先駆ける2軒のレストランを紹介する。

メニューにカロリー値を表示:Calorie Counter

「ライフスタイルは変えられる。健康になるのに年齢制限は無い。それを人々に知ってもらいたい。」そう語るのは、「カロリー・カウンター」のオーナーであるドゥエイン・ピイリス氏だ。カロリー・カウンターは、メニュー全てに含有カロリー値などを表記する独特の手法を用いる、ヘルシー・レストランのパイオニア的存在だ。「Eat Healthy, Stay Healthy(健康的に食し、健康であれ)」をモットーとする同店では、「クリーンな食材をおいしく調理する」ために知恵を絞る。油を使用せず肉を焼くための大型グリル機械を導入し、砂糖を使用せずにスムージーをおいしくするため果物の組み合わせを入念に研究する。

「自分の身体に責任を持つのは自分自身の役目だ」と語るピイリス氏自身も、過去には肥満体形の幼少時代を過ごし、その後はラグビーに熱中して体重を増やした。しかし近親者がNCDで命を落としたことをきっかけに生活習慣病のリスクに気づき、健康的な食を研究・実践し、体重の大幅減に成功した。同氏は、スリランカで徐々に健康への意識が高まっているのを感じているという。「ジムの数もどんどん増えている。カロリー・カウンターも店舗数を拡大していきたい。」同レストランはすでに、スリランカ国内に2店舗目を出店しており、インドとクウェートにもフランチャイズで進出済みだ。


メニューのすべてに、カロリー(CAL)、プロテイン(P)、炭水化物(C)、脂質(F)の数値が表示されている。(Calorie Counterウェブサイトより)

レストラン経営に加え、印刷業も営むドゥエイン・ピイリス氏。(ジェトロ撮影)

幅広い客層に圧倒的な人気:Life Food Cafe

平日のお昼時、湖のほとりに小さな店舗を構えるライフ・フード・カフェでは、客足が絶えることがない。子供連れの母親たちが会話に花を咲かせる隣で、オフィス・ワーカーの一団が素早くランチを済ませていく。デリバリー注文の電話も鳴りやまない。暖かみのあるおしゃれな雰囲気でさまざまな客層を引き付ける同店は、今年の2月にオープンしたばかりの新生ヘルシー・フード・レストランだ。同店ではメニューの一つひとつに、健康への効能が記されている。例えば、次の写真、左側のスムージーは「Purifier(浄化機)」という名前が付いている。パイナップルとパッションフルーツ、ミントを合わせたスムージーで、メニューの説明書きには、消化によく体をきれいにしてくれるとある。


スムージー「Purifier(浄化機)」:320~400スリランカルピー。1スリランカルピーは約0.7円(2017年9月現在)(ジェトロ撮影)

「ヘルシーな食事も、おいしくすることができる」と語るのは、同店の店長であるタマーラ・ラヤン氏だ。ライフ・フード・カフェは、開店以来広告を出したことは無い。それでも人気が沸騰しているのは、主に若い世代によるインターネット上での口コミ効果だという。「若い世代は、おしゃれで新しいトレンドに敏感で、健康への意識も他の世代よりも高い。スリランカに元々カフェ文化が根付いていることも、追い風になっている。」と言う同氏は、スリランカの人々は「新しくて、他とちょっと違うもの」を歓迎する性質が強いと見る。おしゃれな店内やエッジの効いたメニュー表記、毎日新鮮なオーガニック野菜を仕入れるこだわり、そして何よりもおいしく調理されたメニューの数々が、幅広い層に支持されている。


POWER HOUSEという名のメニュー。説明書きは、「Get your green on! This salad is sure to keep the doctor away.(野菜を食べて!このサラダで医者いらず)」。
もやしやリンゴなどを使ったサラダにチキンがトッピングされ、ドレッシングはジャパニーズ・スタイル。サラダのみで900スリランカルピー、チキンのトッピングを含めると、1,100スリランカルピー。(ジェトロ撮影)

「健康」の地域間格差

若者を中心に新たなブームとなっているヘルシー・レストランだが、現時点ではコロンボの富裕層など、国内の一部の地域・所得階層にとどまった流行だ。都市部では肥満などのNCDが社会問題として顕在化しており、健康に関する情報や選択肢が拡充されつつあるが、農村部など地方では、NCDに加えて栄養失調に苦しむ人々も多い。また都市部でも、「ヘルシー・フード」や「ヘルシー・レストラン」にその対価を支払うことができるのは、いまだ一部の人々に限られる。医療を全国民に無償提供するスリランカ政府の社会理念が、「健康維持」や「予防」にまで拡大するまで、解決されるべき課題はなお多い。

ジェトロの取り組み

ジェトロもスリランカの現状に問題意識を抱き、「社会課題解決型ルール形成支援事業」として、同国の産業界に「健康経営」の概念を普及させる取り組みを2016年度から開始した。「健康経営」とは、会社経営において従業員の健康管理を「コスト」ではなく、企業の成長に必要な「投資」であると捉える経営理念・手法だ。実際に、従業員の健康管理が企業としての生産性向上につながることがさまざまな先進事例で示されており、日本でも経済産業省がこの取り組みを積極的に推進している。

スリランカでは、企業が従業員の健康管理に責任を持つという考え方は定着しておらず、定期的に健康診断を受ける習慣も根付いていない。「食育」などの行政による対策も、主に母子などに対象が偏りがちで、労働者層への対応が抜け落ちやすい。ジェトロでは、日本の民間企業と連携してスリランカ企業の経営陣に「健康経営」の概念を紹介することで、企業レベルでの健康診断受診の定着を目指している。民間企業を中心に定期健康診断の文化が浸透すれば、NCDの早期発見・治療や、予防概念の普及を後押しできると見込んでいる。同国の生活習慣病予防に貢献しつつ、健康関連の良質な市場を創出することで、日本企業のビジネス拡大を狙う。

執筆者紹介
ジェトロ・コロンボ事務所
山本 春奈(やまもと はるな)
2015年、ジェトロ入構。対日投資部(2015~2017年)を経て現職。
執筆者紹介
ジェトロ コロンボ事務所
ウィラコーン・スバーシニ
スリランカ内IT企業、旅行会社での勤務を経て、2017年よりジェトロ・コロンボ事務所に勤務。