オーストラリア初の日本人醸造家、ラドクリフ敦子氏に聞く
日本人経営のワイナリー「スモール・フォレスト」

2018年5月8日

シドニーから北西に約250キロメートル、車で3時間の距離。オーストラリアを代表するワインの産地として名を連ねるハンター・バレー。日本人が同地で経営するワイナリー「スモール・フォレスト(Small Forest)」を2018年4月3日に訪ねた。経営者のラドクリフ敦子さんは、オーストラリアにおける日本人初の醸造家だ。

味わいと品質で勝負のワインが受賞

ハンター・バレーは、オーストラリアで最も長い歴史を誇るワインの産地だ。原料となるブドウの生育に適した気温と土壌、適度な降水量に恵まれている。ブドウの木の栽培が始まったのは1820年代。約150カ所のワイナリーがあり、直売店を併設しているところも多い。

敦子さんは、ハンター・バレーの北西に位置するアッパー・ハンターバレーで、2013年からワイナリーを経営している。ワイナリーの所有者は地場企業の「マラバー社」で、敦子さんは同社とリース契約を結んでいる。

ワイン原料のブドウはマラバー社の農園から購入するため、ブドウの品質管理から目が離せない。9月(発芽)~11月(開花)~1月(収穫時期)の間、気温や降水量によってブドウの品質は大きく影響を受ける。夏季の嵐やヒョウなどの天候状況に注意する必要があり、心理的なプレッシャーは大きい。加えて、ブッシュファイヤー(山火事)の心配も尽きない。自農場に被害がなくとも、近隣でバックバーニング(延焼を防ぐために、周辺の山林を人為的に焼き払うこと)が行われることもある。近隣で山火事やバックバーニングが起きた場合、煙の臭いがブドウに吸着してしまい、出来上がったワインの品質に著しい悪影響を与える。

ご主人は助けてくれるものの、他の仕事に就いているため、平日のワイン製造から土日の直売所での販売まで、ワイナリーの仕事は敦子さんが一人で行っている。販売は、売り上げの9割が直売所、残りの1割が卸売業者を通じたルートセールスだ。丹念に製造されたワインには「SMALL FOREST by ATSUKO」と記載されている。「日本人が造った」や「女性による」といったうたい文句を利用せず、味わいと品質で勝負している。

敦子さんのワインは、オーストラリアのコンテストで賞を獲得し、オーストラリア人から高い評価を受けている。良心的な値段のため、リピーターも多い。卸売業者を通じて、シドニー都市部のレストランやワインショップでも販売されており、地場の有名レストランからの指名買いも入る。少量であるが日本へも輸出されており、東京・銀座の高級すし店などで味わうことができる。


「SMALL FOREST」ブランドのワイン(写真:ラドクリフ敦子氏提供)

ワインメーカーや蔵元での経験を生かす

敦子さんは、ワイナリー経営を始めるまでに多彩な経歴を重ねてきた。日本の協和発酵工業株式会社(現・協和発酵キリン株式会社)に入社して製品試験・分析業務に携わった後、日本のワイナリーに転職。その後、仲間と共にワイン造りのコンサルタント会社を起業した。コンサルタント業務の一環として、ワイン造りの本場フランスや、オーストラリアへ定期的に訪問し、ワイン造りの経験を積んだ。

オーストラリア滞在時にワインメーカー「ローズマウントエステート社」の社員と知り合ったことがきっかけになり、同社へ入社した。同社はオーストラリアで5番手の大手(当時)で、敦子さんの勤務は7年に及んだが、その間、同社は事業規模を拡大する過程で買収・吸収合併などを繰り返し、フォスター社に同社は買収されることとなった。この買収により、経営方針が変わったことなどから、敦子さんは同社を退社する。

その後、オーストラリアのワイナリーなどで働いていたところ、日本酒メーカーから仕事のオファーがあった。オーストラリア人であるご主人の理解もあり、日本に滞在することとなった。日本での滞在は1年半にわたり、当時は男性が中心であった日本酒の蔵元で、女性でありながら働くといった貴重な経験を積んだ。

敦子さんは蔵元での仕事を終えた後、再びオーストラリアへ戻り、ハンター・バレーの小さなワイナリーに就職した。しかし、半年後にこのワイナリーは、石炭採掘を目的に鉱山開発を計画していたマラバー社に売却された。ハンター・バレー周辺は、石炭の産地としても有名で、良質な石炭が採掘される。マラバー社は「鉱業と農業の共存」を企業理念としており、環境への影響が懸念される露天掘りでの石炭採掘(火力発電用)ではなく、地下採掘(製鉄用の原料炭)を計画した。同地での、ブドウ栽培は継続されることとなり、敦子さんに白羽の矢が立った。「ワイナリーを経営してみないか」というオファーを、敦子さんは受けることとなる。

ワイン・日本酒を通じて、「日豪の懸け橋」として期待が高まる

ワイナリー経営の打診を受けた当初、ワイン業界の景気も芳しくなく、自己資金も少ないため「大いに悩んだ」と敦子さんは言う。一方、ハンター・バレーはオーストラリアのワイン発祥の地だ。この愛着のある地に住み、ブドウを栽培し、ワインを造ることで、「地域に貢献できるのではないか」(敦子さん)と考えた。また、「マラバー社の企業理念に共感できたことも大きかった」と敦子さんは言う。

自身が経営するということには、自由と責任が両立する。ワイン造りにあたっては、「過去の経験や技術を生かしつつ、さらに新たな知識、ワイツ造りへの哲学的要素も踏まえ、これからも1本ずつ丁寧に取り組んでいきたい」と敦子さんは意気込む。しかし、人員的に、販売ルートの拡大まで手が回りきらないのが実情だ。地域貢献という観点から「地元の者を雇用したいのだが、経営規模から考えると、そこまでの余裕がない」と経営者に伴う苦労は大きい。

しかし、苦労を重ねながらも「自分が納得できないワインは販売しない」(敦子さん)と職人かたぎも忘れない。実際、製品化した後であっても、自信を持って販売できる品質ではないと判断した場合は販売を中止したこともあった。

こういったワイン造りに対するしんしな姿勢と業績が評価され、敦子さんは世界規模のワインコンテスト、IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)における日本酒(Sake)部門の審査員を2012年から務めている。さらに、2015年からは日本酒部門のパネル・チェアマン (部門リーダー)に、また、ワインの審査員にも任命された。

日本酒の販売は、ワイン以外の酒類販売免許を保持していないため行っていないが、ワイナリーでは日本酒の試飲や案内もしている。敦子さんは「日本人」ということを全面的に押し出して経営している訳ではないが、日豪の懸け橋として、敦子さんにかかる期待は大きい。


ワイナリー内部の様子(ジェトロ撮影)

ラドクリフ敦子氏(ワイン畑にて、ジェトロ撮影)
執筆者紹介
ジェトロ・シドニー事務所 事業推進部 部長補佐
藤原 琢也(ふじわら たくや)
2016年、ジェトロ入構。農林水産省系の独立行政法人に勤務(2001~2015年)後、2016年、ジェトロ農林水産・食品部に配属。2017年よりジェトロ・シドニー事務所に配属。専門は農業分野(牛乳・乳製品、牛肉などの畜産品、食品など)。