EU市場への自由なアクセスを維持できるか(スイス)
EUとの制度的条約締結をめぐる動向

2019年3月15日

2014年 からスイス・EU間で交渉が続けられてきた制度的条約。EU法令の改正がダイナミックにスイス国内にも適用されるための枠組みであり、同条約案が2018年12月に公開された。本稿では、同条約案の概要、主要論点、今後の見通しなどについて概観する。

EUとスイスは2014年から制度的条約を交渉

スイスは、EUとの間で関税、ヒトの自由移動、環境、研究開発、各種規制の相互承認など多数の分野別協定を締結し、EU自体に加盟することなく、EU域内の国と同等の市場アクセスを確保してきている。これは、英国のEU離脱(ブレグジット)後もEU域内と同等の待遇を確保しようとしている英国と同様の構図である。

一方で、EU内の各分野の規制やルールは随時改定されていくが、外部の国との間では、必ずしもEU側の規制改定が相手側に受け入れられるとは限らず、各種協定の見直し時期を待ったり、独自に法整備を相手国に促したりしなければ、EU域内との公正性が確保できない恐れもあることから、EU側はそのような個別対処アプローチへの不満が高まっていた。EU側は、「いいとこどり」を許さないよう、EU法令の改正がダイナミックにスイス国内にも適用されるための仕組みである制度的条約(Institutional Agreement)の締結を迫るようになり、2014年からスイスとの間で交渉が続けられてきた。

近年になって、EUはスイスに対してさまざまな局面で制度的条約への合意を迫っており、スイス証券取引所におけるEU企業上場に必要な認定の更新(2018年末期限)をめぐる交渉では、認定のための条件として同条約の締結が挙げられたと報道されている。今後も、電気製品安全や農業・食品安全分野で、両国・地域の規制の同等性を認める相互承認協定(Mutual Recognition Agreement:MRA)の更新などが予定されているが、EU側は同条約の締結に応じない限り、他の各種協定の更新などには応じないという厳しい姿勢を打ち出している。

スイス連邦政府は、制度的条約の締結を国内関係者に諮るため、2018年12月17日に、EUと交渉中の同条約案を公開するとともに、連邦議会、各州、産業界に対する公開コンサルテーションを開始すると発表した。EU側は、スイスの国内手続きを尊重し、同条約締結に向けた過程を注視することとして、スイス証券取引所におけるEU企業の株式取引に必要な認定を2019年6月末まで延長することを発表した。

スイス側は、半年間の時間的猶予を得たことになるが、スイス国内での合意形成には不確定性が高く、今後について予断を許さない状況にある。その理由としては、同条約案に対しては、国内の主権侵害につながるとして、右派政党からの反対が根強いこと、ヒトの自由な移動を認めるための保障措置が不十分で国内雇用の安定が図れないとして、左派政党も反対に回っていること、が挙げられる。その結果、連邦参事会(内閣)内でも現在、表立って同条約案への支持を明らかにしている閣僚はいない。一方、産業界は、EU市場への自由なアクセスが認められなければ、EUとの取引額が多い産業への影響が大きいことから、日本の経団連に相当するエコノミースイスやスイス機械・電機・金属工業会(SWISSMEM)が締結の必要性を訴える発表を行っている。同条約の締結は、EUとの通商交渉上の最重要課題と位置付けられ、今後、スイス国内における締結の是非判断に関する動向が注目される。

条約案を2018年12月に公開

EUとスイス間で交渉されている制度的条約案は、2018年12月に初めて公開された。現在はフランス語版のみであるが、その概要は次のとおりである。
(原文)ACCORD FACILITANT LES RELATIONS BILATÉRALES ENTRE L'UNION EUROPÉENNE ET LA CONFÉDÉRATION SUISSE DANS LES PARTIES DU MARCHÉ INTÉRIEUR AUXQUELLES LA SUISSE PARTICIPE(スイス連邦政府)PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(982KB)

第1条(目的):本条約の目的は、現在および将来にわたる2国・地域間経済・貿易関係に対して制度的な枠組みを与えること、具体的にはEU法令の更新を受けた改定手続き、関連協定やEU法令に対する解釈や整合性の確保、関連協定の順守状況、紛争解決について、共通原則を確保すること。

第2条(適用範囲):1999年に合意された第1次バイラテラル(2国・地域間)協定7本のうち、ヒトの自由な移動、航空輸送、商品および旅客の鉄道・道路輸送、農産品貿易、相互認証の5本が明示的に指定されているが、そのほか今後締結する共通市場に対するバイラテラル協定全てが、本条約の適用対象となる。

第5条(法令の整合化):法的保障および均質性の確保のため、条約成立後、速やかに両国・地域はEU法令への整合を図る。

第8条(一般的裁量):市場への不当な介入に当たる政府機関の補助金などの禁止のための原則を確立することが規定されている。

第9条(排他性):両国・地域間の本条約運用に関わる紛争処理については、双方が合意した機関に限定される。具体的には、第19条付則3において、メンバー構成やその選定方法に合わせ、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が事務局を務めることが規定されている。

第10条(法令の運用および解釈についての課題解決):法令の運用および解釈に関する課題解決のため、両国・地域間で分野別に委員会を設け解決策を検討すること、EU法令の解釈については欧州司法裁判所が協力を行うこと、紛争処理機関の支援を得ても、なお相手側が従わない場合には両国・地域間の不均衡についての保障措置をとることができることなどが規定されている。

第19条(その他):本協定の実施のために必要な手続として、ヒトの自由な移動を保障する上で必要なスイス国内の保障措置に関する調整(スイス国内労働者優遇措置の縮小を含む)、紛争処理機関の構成および実施手続きなどを付則の形で規定している。

国内で公開コンサルテーションを実施

制度的条約案をめぐっては、EU法令の更新を受けた改定を「ダイナミックに」行うことが目的として記載されている上、その実施をめぐる紛争処理については、オランダ・ハーグにある常設仲裁裁判所が管轄することが予定されており、スイスの国内問題であるべきスイス法令の整備について、治外法権となりかねない点が問題視されている。

また、今後締結する協定について、上記メカニズムに従うべきとされているが、これは、制度的条約が今後締結・更新される、あらゆるスイスとEU間の約束の上位に置かれることを意味する。これまで、EU市場への自由なアクセスを確保するために、スイスはさまざまな分野別協定を締結してきており、スイス側のこれまでの基本的な通商交渉スタンスは、ヒトの自由な移動、航空輸送、鉄道・道路輸送、農産品貿易、相互承認の5つの個別分野の交渉を優先して行うというものであった。今回の制度的条約案においても、この5分野の協定は明示的に同条約の枠内であると位置付けられているが、適用範囲はその5分野に限らないと非限定的に記述されているところが、スイス側のこれまでのスタンスとの大きな違いである。

もう1つの論点は、スイス国内で安価な労働力の流入を防ぎ、自国人の雇用機会を確保するため、スイス国内では派遣労働者の募集・採用に関して、一定の国内優遇措置を計画しているが、これがEU側から見れば、ヒトの自由な移動上問題となる可能性があること、逆に労働者保護の観点からは、この措置が十分でないと国内で批判が出ていることがある。また、EU各国に居住するEU市民およびその家族に対し、社会保障および扶助を与えること、EU各国で域内での社会保障レベルを整合化すべきことを規定したEC指令が存在しているが、これらが関連する協定の実施措置として、制度的条約の対象となると、外国人に対する過度の社会保障手当・国内の社会保障レベルの引き下げにつながる恐れもある。現行の制度的条約案においても、スイス側に、域内同一労働・同一賃金を規定するEC指令への整合化を求める条項が存在しており、労働者保護措置について、EUからの介入を受ける余地は拡大すると想定される。

これらの結果、産業界やマスコミからは、制度的条約締結への賛同が表明されている一方、右派の国民党、左派の緑の党や社会民主党は、明確に反対の姿勢をとっている。連邦参事会(内閣)レベルでも、締結を進めようとする推進力が見当たらないのが現状である。2019年1月16日の連邦政府発表(European policy: arrangements for consultations on the draft institutional agreement外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます によれば、今回の公開コンサルテーション(1月16日開始)については、法令上(Loi fédérale sur la procédure de consultation外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)3カ月で終了することとされている通常プロセスとは異なり、関係者間とフェイス・トゥ・フェイスの協議の形で行われ、2019年春にコンサルテーションの進捗をレビューするとのことだが、具体的な判断基準や終了時期は明らかになっていない。

万が一、公開コンサルテーションを経ても、制度的条約締結について国内合意が形成されなかった場合、その後のスイス連邦政府の対応は2通り考えられる。1つは、制度的条約案自体の修正を求めてEUと交渉を行うケースであり、もう1つは、これまでEUが求めていた、EU域内法制度のスイス国内法への迅速な取り入れを個別に行ってみせることにより、制度的条約そのものは締結しないものの、EU側の懸念の払拭(ふっしょく)に努めるケースである。いずれのケースにしても、EUとの交渉のやり直しにつながることとなる。EUとしては、ブレグジットを控えた英国の手前もあり、EU加盟していない国に対して、好条件でEU市場への自由なアクセスを認めることとならないよう、妥協する余地は極めて少ないと予想される。

EUとの間で今後、締結・更新が予定されている各種協定の取り扱いも問題となる。少なくとも現時点で、(制度的条約との関係は不明だが)交渉が中断されているものとして、電気安全規制の相互認証、農業品・食品安全・公衆安全・製品安全規制、メディア・文化に関する協定が存在する。このほか、EUが締結している各国との自由貿易協定(FTA)は2年ごとに見直しが行われるとされており、これらの協定のそれぞれの交渉場面で、EUから制度的条約と関連する対応を迫られることとなる。

直近の問題としては、2019年6月末で期限を迎えるスイス証券取引所の同等性認定の更新交渉が開始されることになるが、制度的条約が否決された場合、同等性認定もされないというハードランディングも想定される。ただし、これに関しては、欧州証券市場監督局(ESMA)が認定を与えなかったとして、実際問題、私企業であるEU企業がスイス証券取引所に自社株を上場し、取引することまでEU当局が禁じることができるのかには疑義が残る。実際に何が起こり得るかについて、スイス国内でもほとんど議論は行われておらず、今後、市場影響への分析や対応策の検討が必要になるだろう。


変更履歴
文章中に誤りがありましたので、次のように訂正いたしました。(2019年3月27日)
第1段落・第3段落
(誤)EU法令の改正が自動的にスイス国内にも
(正)EU法令の改正がダイナミックにスイス国内にも
第11段落
(誤)しかし、スイス各州では州立銀行への資金補助および経営支援は一般的であり、これに対する適用可否が問題となる可能性がある。
(正)〔削除〕
執筆者紹介
ジェトロ・ジュネーブ事務所長
和田 恭(わだ たかし)
1993年通商産業省(現経済産業省)入省、情報プロジェクト室、製品安全課長などを経て、2018年6月より現職。
執筆者紹介
ジェトロ・ジュネーブ事務所
マリオ・マルケジニ
ジュネーブ大学政策科学修士課程修了。スイス連邦経済省経済局(SECO)二国間協定担当部署での勤務を経て、2017年より現職。