「大統領の料理人」、ゼロからの和食の普及に奮闘中(アゼルバイジャン)

2019年3月12日

旧ソ連の構成国で、ロシアと中東に挟まれたコーカサス地域にあるアゼルバイジャン。石油や天然ガスなどの資源に恵まれるが、2014年からの資源価格下落で大きな経済的打撃を受ける。現在はその影響から脱しつつあり、同国のイルハム・アリエフ大統領は非資源分野の振興に力を入れる。そのアゼルバイジャンの首都バクーと日本料理(和食)には浅からぬ縁がある。2013年に和食をユネスコ無形文化遺産に登録することを決議した会合が開催された地がバクーだった。そのバクーにあるアリエフ大統領御用達のアジア料理レストラン「チナール」(アゼルバイジャン語で「プラタナス」の意)に、2018年3月から日本人総料理長の堰琢磨(せき・たくま)さん(新潟県出身、45歳)が着任している。日本食を通じて、同国の食文化の多様化に貢献しようと奮闘中だ。ワシントン、ロサンゼルス・ビバリーヒルズ、パリなど5ツ星ホテルのレストランでシェフを務め、直近ではシンガポール(セントーサ島)のシャングリラホテルに勤務した。2018年3月にレストラン「チナール」を所有するグループ会社の人事部長から、同レストランの立て直しを依頼され、バクーに移ることを決めた。「ネバー・トライ、ネバー・ノー(挑戦なくして否定なし)」をモットーにする堰総料理長に話を聞いた(インタビューは2月22日)。


堰総料理長。地元で採れた新鮮なマスをマリネにして提供。
「枡(ます)だけにマス」とユーモアも欠かさない。現在単身赴任中。(ジェトロ撮影)

アゼルバイジャン随一のレストランで、和食を魅せる

質問:
他国と比べたアゼルバイジャンの最初の印象は。
答え:
アゼルバイジャンに来るまでは、国自体の存在を知らなかった。事前にネットで調べてみたら、2014年に原油価格が下落する前までは「第二のドバイ」とも呼ばれ、建設ブームだった様子で、ポジティブな内容が書かれていた。資源価格の下落以後、2回の通貨切り下げを経験していて、国としてはまだ発展途上だな、と感じた。和食を世界で広げたいと思っており、アゼルバイジャンにさまざまな日本の食材を持ってきて紹介したいと思った。
しかし、実際バクーにやってきて、現実には簡単でなさそうだとも感じている。シンガポールに比べてアゼルバイジャンの国民1人当たりのGDPは10分の1。超高級な食材を日本からアゼルバイジャンに持ってきても、大きな需要に膨らむまでには時間がかかると思う。「チナール」は大統領が通うような、上位数%の富裕層が主顧客のレストラン。このレストランで需要がある食材を、他の高級レストランにも徐々に普及させていくことが必要だ。

「チナール」正面(ジェトロ撮影)
質問:
一方で、アゼルバイジャンに将来性を感じている部分とは。
答え:
自分は25歳で渡米した。30年前の米国はハンバーガー文化だったが、「NOBU」、「モリモト」レストランなどの影響で、日本食の革命が起きた。アゼルバイジャンでも、このように変化が起きる可能性を感じている。(当地で主流の)焼く・煮る以外の日本食の良さをアピールしていきたい。とにかく今は、アゼルバイジャンで地元の人々の日本食に関する知識はゼロ。こちらで「すし」といえば、握りずしではなく、巻きずしを揚げたものをイメージする。その感覚を変えたい。すしを「握りずし」と言わないと伝わらない。まずは、その辺りの認識から変えたい。

一筋縄ではいかない食材輸入、一方で現地調達可能な食材も

質問:
食材の調達方法や、日本からの直接調達の可能性について。現地調達できる食材について。
答え:
1週間に1回、ルクセンブルクとドバイからバクーに空輸している。ルクセンブルクには、すし用に使える新鮮な魚がある。ドバイは冷凍・乾物もの(みそやしょうゆ)など。それでも、日本からの食材の種類の豊富さにはかなわない。バクーと日本の間で直行の航空貨物便があるので、数回、日本からの直輸入にトライしたが、うまくいっていない。空港に到着してから手元に届くまで、さらに1週間かかる。ルクセンブルクやドバイからはスムーズな輸入が可能なのに、日本からの輸入に時間がかかるのは実績がないからと思っている。直行便があるのに、生かしきれていないのは残念。改善すれば新鮮な食材や魚などを日本から取り寄せ、日本産米と一緒に、アゼルバイジャンの人に本当のすしを味わってもらいたい。そうなれば、和食がアゼルバイジャンにさらに浸透していくと思う。輸送コストが高いのもネックだ。輸送費を加えると日本の小売価格の3倍になり、さらにレストランの利益をのせると5倍近くになってしまう。これでは価格に尻込みしてしまう顧客もいる。
一方、アゼルバイジャンには、四季とさまざまな気候帯があり、シーズンがある。採れる野菜などは、日本とほぼ同じ。今は冬なので根菜類がよく出回る。日本とは形は違うが、大根などはこちらでも採れる。ロシア文化の影響もあり、ビーツなどは入手が可能。野菜には困ることはないので、日本から持ってくる必要性はあまり感じていない。過去にサツマイモを日本から持ってきたことがあるが、こちらのスイートポテトと味の点では大差はなかった。日本産というだけで何でも売れるわけではなく、また、「限定」とか「期間販売」という売り言葉をつけても、価格が高ければこちらではさほど売れないので注意が必要だ。
質問:
シンガポールなどと比べて、アゼルバイジャンの人々の味覚の特徴は。
答え:
アゼルバイジャンの人は、塩分が強いものを好むようだ。チーズもしょっぱい(塩辛い)。味付けも基本は濃い目。辛さについては両極端の顧客がおり、辛い味を好むお客と、辛い味が全く駄目なお客にはっきり分かれる。シンガポール人は辛いものが大好きだが、しょっぱいものはシンガポール人にはあまり好かれない。おそらく歴史や気候などが食文化に影響しているのだろう。

和食で大統領をうならせろ!「スペシャルメニュー」を提案

質問:
現地で人気のあるメニューは。顧客であるアリエフ大統領の和食への評価は。
答え:
中華鍋料理がよく出る。麺、チャーハンなど。和食では巻きものが出る。こちらでは食文化に多くの選択肢がないので、日本人のように魚を活(い)け締めして食べるような習慣はない。
自分が受け持っているメニューで、「スペシャルメニュー」というコーナーがある。和食を中心に作り、1週間に1回、入手できた食材を中心に考案している。例えば、「サーモン・ベリー・炙(あぶ)り」など。生だと駄目だが、ちょっと炙ると食べられる人もいる。当然ながら、アゼルバイジャンの人は「炙り」という言葉自体を聞いたことない。名前で注意を引くため、あえて日本語アルファベットを大文字で強調して書く。解説も付けるが、お客さまはあまり見ていないようだ。お客さまから質問があれば、自分自身が調理方法を説明しに行くようにしている。「しゃぶしゃぶ」という名称は、こちらでもかなり浸透してきた。

解放感ある店内(ジェトロ撮影)
先日、アリエフ大統領が来店された。これは良い機会と思い、手元にあった和牛をミディアムレアでサーブしてみた。しかし、大統領はウェルダンでなければ駄目とのこと。一方、一緒に来店してくださったメフリバン・アリエワ大統領夫人兼第1副大統領、娘さんのレイラ・アリエワさんはミディアムレアもOKで、すしも生でどんどん食べる。アリエフ大統領はすしも生のネタが苦手で、(女性陣とは)好みが分かれるようだ。大統領が来店するたびに、和牛、日本酒を出すようにしている。前回は、新潟産の有名ブランドの日本酒(720ミリリットル)を(同伴の)8人で3本飲んでいただいた。会食の場には入れなかったが、大統領が「おいしい」と言っていたと聞いている。一国の指導者に、全く知らなかったお酒を飲んでもらい、評価してもらったことはうれしいこと。バクーのトップクラスのレストラン「チナール」には、アリエフ大統領のほかにも、各大臣・財界人がよく来訪する。まだまだ日本の食材を試せるはず。その後は「チナール」の企業努力が必要。大統領やその周囲から伝わって一般の消費者に届くまで、10年くらいはかかるだろうと考えている。できることを続けていくつもりだ。
「この食材を使ってほしい」といった、日本からのオファーは歓迎している。実際、過去に千葉、富山の方々も来られた。食材はアレンジするし、そのまま出せるなら出す。お客さまにも日本食に関する知識が全くない状態なので、まずはやってみることにしている。スタッフにも「ネバー・トライ、ネバー・ノー」と言っている。良くも悪くも、フィードバックをもらうことが重要で、お客さまにサーブしたことがないからこそ、出す。値段も考えて付ける。大統領には、若干価格を高めに設定させていただいている(笑い)。

スタッフに任せ、本物にこだわる

質問:
同僚のシェフ、スタッフたちへの評価は。
答え:
勤勉だと思う。シンガポールでは、シンガポール人に多くのベネフィットが与えられている。飲食業は特に、外国人を雇いにくい状況にある。アゼルバイジャンに来て感じたことは、皆、一生懸命に自分のパフォーマンスを見てもらおうというひたむきな気持ちがある。アゼルバイジャンに料理の専門学校はなく、普通の学校を卒業してから実店舗で調理方法を習得するしかない、という背景もあるだろう。スキルはまだ足りないが、情熱がある人間は多い。現在、調理スタッフは20人。アジア料理を提供するため、タイ人シェフも招へいして厨房(ちゅうぼう)に入ってもらっている。総料理長の職責は、日本料理の調理、スタッフの管理・教育に加えて、顧客とのコミュニケーションも含まれる。モチベーションの問題から、それぞれのチームに責任を与え、総料理長は口をあまり出さない。店の運営には積極的に関与させてもらっていて、過去、日本酒はすべてドイツ製だったが、自分が来てからは本物の日本酒に置き換えた。

女性スタッフ。情報共有とモチベーションアップを
目的に毎日ミーティングを実施(ジェトロ撮影)
店舗情報
店名 「チナール」
住所 Sabail District, Shovket Alekperova str. 1 baku
電話 +994(12) 404 82 11
URL https//chinar-dining.az/外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
営業時間 12時~25時(日曜~木曜)、12時~26時(金曜、土曜)
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部欧州ロシアCIS課ロシアCIS班 課長代理
髙橋 淳(たかはし じゅん)
1998年、ジェトロ入構。2005年から2007年まで海外調査部ロシア極東担当。2009年から2012年までジェトロ・モスクワ事務所駐在。2012年から2014年までジェトロ・サンクトペテルブルク事務所長。ジェトロ諏訪支所長を経て2017年7月より現職。