「米国中西部スタートアップ」インタビュー(1)シカゴ発のナノグラフ・コーポレーションが日本へ展開
リチウムイオン電池スタートアップに見るシカゴのイノベーション事情

2019年1月17日

米国のイノベーション発信地としては、シリコンバレーやニューヨークなどが注目されがちであるが、中西部のシカゴにも注目すべきイノベーション企業は多い。米国中西部に位置するシカゴには、シカゴ大学やノースウエスタン大学、イリノイ州立大学といった全米有数の研究機関がそろっており、共同購入型クーポンサイトのグルーポン(Groupon)、日本航空などの主要航空会社の機内Wi−Fiサービスを提供するゴーゴー(Gogo)、ビッグデータとAI(人工知能)を用いた予測分析のアップテイク(UPTAKE)など多くの有名企業が輩出している。その中で近年注目を集める、リチウムイオン二次電池向けの負極材料添加剤Siアノード材料を製造するスタートアップ企業ナノグラフ・コーポレーション(NanoGraf Corporation、以下ナノグラフ、注)は、2018年12月に日本での製造を発表した。同社のサミーア・マヤカーCEO(最高経営責任者)に、2018年12月21日、シカゴのスタートアップ・エコシステムや日本でのビジネス展開について話を聞いた。

シカゴのスタートアップ・エコシステム

シカゴのスタートアップ・エコシステムは、130億ドル相当の価値があるとされている。イリノイ科学技術団体(ISTC)によれば、2013年から2017年までの5年間で大学発スタートアップが942社生まれており、このうち約74%が活動中である。また、シカゴ大学ビジネススクール非常勤教授でシカゴ・ネクスト代表を務めるマーク・テブ氏によると、シカゴ近郊の4年制大学の数はボストンに次ぐ全米第2位であり、ライフサイエンスやビッグデータなど高度な専門知識を生かした、競争優位性を持つスタートアップが多く生まれているという。さらに、シカゴでは15カ所以上のさまざまな分野のイノベーションハブを活用して、ロジスティックや保険、ヘルスケア、バックオフィス業務などの分野で、BtoBスタートアップ企業が多く生まれている。これらの環境が寄与した結果、調査会社ピッチブック(Pitchbook)の発表によれば、シカゴのスタートアップ投資リターン率は8.5倍と全米1位を誇る。これは、シアトル(5.9倍)、ニューヨーク(4.8倍)を大きく引き離す値である。

拡大するリチウムイオン電池市場

ナノグラフが扱うリチウムイオン電池は、軽量、高電圧、高容量という特長と低価格化から、スマートフォンやノート型パソコン、車載バッテリーとして幅広く利用されている。富士経済の発表によれば、2021年には世界市場規模で4兆円を突破すると予測されている。サムスンSDIやパナソニックなど電池メーカー各社は、成長著しい車載用バッテリーの需要を見込み、自動車メーカーからの受注獲得に力を入れる。特に電気自動車(EV)では、バッテリー性能が航続距離に直結することから、各社とも多額の研究開発費用を投じている。


ナノグラフの製造するリチウムイオン電池原材料(ジェトロ撮影)

リチウムイオン電池の性能は一般的に、電気容量、充電回数、充電速度、発火耐性、重量といった要素で評価されるが、マヤカー氏によれば、ナノグラフ製品の素材は既存製品よりも最大50%多い容量、最高レベルの充電回数、高速充電といった特徴を安価に提供できる点に特長がある。これらの技術が認められ、2016年にはゼネラルモーターズ(GM)、フォード、フィアットクライスラー・オートモービルズ(FCA)で構成される米国アドバンストバッテリーコンソーシアム(USABC)から、EV車両向けバッテリーの開発を目的とした400万ドルの契約を獲得した。

なぜ「シリコンバレー」ではなく、「シカゴ」なのか

マヤカー氏によれば、多くの投資家がシリコンバレーやテキサスに移ることを提案してきたという。しかし、ナノグラフは拠点を移すことなく、シカゴに残った。マヤカー氏は、大きく3つの理由があると語る。

1つ目は、「シカゴこそがバッテリー化学分野にとってのシリコンバレーである」ということだ。ナノグラフはスピンアウト元であるノースウエスタン大学(NU)の材料科学(Material Science)ラボや、リチウムイオン電池の研究が盛んなアルゴンヌ国立研究所(イリノイ州)と深く結び付いている。シボレーの電気自動車「ボルト」に使われるバッテリーもこの地域で開発されており、材料科学の分野ではシカゴ地域こそが中心地であるという。「自社でそろえると1台200~300万ドルするマイクロスコープが、NUではスタートアップ企業向けの料金で利用できる。また、教授からのフィードバックを受けられる」というように、分野によってはシリコンバレーよりも恵まれた環境が整っている。

2つ目は、「ナノグラフが『製造業』であり、歴史的に製造業が盛んな中西部に位置することで経験豊富な人材や、質の高い素材を目利きのできる顧客に恵まれている。アプリ開発が中心のシリコンバレーとは層が違う」ということだ。さらに、「シリコンバレーに比べて、製造コストが2分の1である点も大きい。それに、シリコンバレーのベンチャーキャピタルは短期での結果を求めるため、科学に対する忍耐がない。イノベーション創出には中西部製造業の長期的な視野が欠かせない」と指摘した。

3つ目は、「シカゴにはユナイテッド航空やアメリカン航空がハブとするオヘア国際空港があり、特にバッテリー関係の顧客が多い日本や韓国、中国に向けた直行便が多くあること。リチウムイオン電池は、日本や韓国で精製された原材料を中国で製品化する。最近は一部の原材料が中国でも製造開始されたが、品質が高いものについてはまだまだ日本や韓国が中心である。このため、これら3カ国につながっている立地であることが重要だ」と述べる。

米国での販売・プロモーション戦略、人材戦略

マヤカー氏は「ナノグラフでは、根拠となるデータがなければ、マーケティングはできないと考えている」と語る。「NU発の特許ということで、質の高い製品を探す顧客の多くが目を向けてくれる。また、米国エネルギー省が主催するクリーンエナジー・ビジネスプラン・コンペティションに優勝したことで、CNNをはじめ多くのメディアの関心を引くことができた」と話す。同社は、カンファレンスへの出席や適任者(right person)へのつながりを強化することで、ナノグラフブランドのマーケティングを進めているという。

人材の採用では、NUやイリノイ州立大学などから材料化学のインターン生を受け入れ、一定期間、共に働くことで自社にマッチした人材を確保しているという。「初期段階の企業では、人材が会社の在り方を決める。一回の面接だけでは判断できないので、この方法が適していると思う」と、その理由を話した。

ジョイントベンチャーで日本市場に展開

ナノグラフは2018年11月に、前身となるサイノード・システムの現物出資と、負極材料添加剤の研究開発を進めてきたJNC(本社・東京)からの250万ドルの出資を含む、総額450万ドルの出資を受けて設立した、ジョイントベンチャーである。前身のサイノード・システムとJNCは、これまで2年間の共同研究を含む約5年間という長期にわたり、関係を深めてきた。前述のとおり、一般的にリチウムイオン電池は日本や韓国でつくられた素材を用いて中国で最終製品に加工され、世界各地に輸出されている。このため、ナノグラフにとって日本国内に生産拠点を持つことは、中国への原材料輸出に当たって大きなアドバンテージとなる。マヤカー氏は「日本はわれわれにとっての未来だ(Japan is our future)」とし、「JNCはジョイントベンチャーのパートナーとして最適だった。彼らは技術、イノベーション、品質、知的財産を尊重しており、大量生産に対応できる」と話す。

ナノグラフは今後、千葉県市原市にあるJNCの製造所で、既存設備を利用して製品の製造をはじめ、2019年夏からの出荷を予定している。「バッテリー世界市場は中国の新エネルギー車(NEV)規制などの恩恵を受けて、年間20~25%の勢いで伸びている。EV1台にはアップルのiPhone1万台分のバッテリーが使われるといえば、EV市場がもつ可能性の大きさが分かるだろうか。これに加えて、パーソナルデバイス、ドローンなどバッテリーの用途は広がり続けている。ナノグラフにとっての課題は、中国製品との競合をどのように制するかだ。千葉県で量産化することにより、質の高い製品を世界に向けて出荷できる。バッテリー素材は製品価格全体に占める人件費の割合が少ないから、日本での生産でも割に合う。さらに、日本の先端材料科学は中国に比べてはるかに進んでいる。中国企業と競争するには、価格ではなく、技術で競わなければならない」と、マヤカー氏は日本展開の展望を語った。

日本のイノベーション創出について

最後に、マヤカー氏が考える、日本でイノベーションの創出を進めるに当たって必要なことは次の3点だ。

第1に、多様性(ダイバーシティ)。これには、性別だけでなく、人種などさまざまな要素が含まれる。残念ながら日本の企業の役員に会うと、そのほとんどが日本人の男性。これではなかなか、イノベーションが生まれてこない。さまざまな環境で育った人々がアイデアを出し合うことでこそ、新しいものが生まれる。

第2に、リーン・スタートアップの考え方。日本企業の多くは、まず完璧な製品を作り上げてから市場に出す。これに対して、テスラもウーバーも、ある程度製品が使えるようになった段階で市場に出してしまう。その上で、顧客からのフィードバックを反映しながら改善を進めていく。小さな失敗を重ねて、育てるこの考え方が、イノベーションを育てていく上では重要になる。

第3に、一貫したコミットメント。ナノグラフとパートナーを組んだJNCは年単位での協力を約束してくれた。これに対して、ベンチャーキャピタルは短期の成果を求め、その約束内容が大幅に変わってしまうことも珍しくない。日本企業が得意とする、長期的な見通しで契約を行うことが、イノベーション創出には必要となってくる。


ナノグラフCEOのサミーア・マヤカー氏(中央)、CTO(最高技術責任者)の
ケリー・ハイナー氏(左)、日本ビジネス担当の堤亮太氏(右)(ジェトロ撮影)

注:
リチウムイオン電池用の粉末素材を製造するシカゴのスタートアップ企業。2012年に創業した、同社の前身企業サイノード・システム(Sinode Systems)は、ノースウエスタン大学とアルゴンヌ国立研究所の研究者との共同チームからのスピンアウトである。また、創業者兼CEOのマヤカー氏は、オバマ前大統領の大統領選挙資金マネジャーやホワイトハウスで国家安全保障担当ディレクターなどの要職を務めた、政界に明るい人物でもある。
執筆者紹介
ジェトロ・シカゴ事務所 ディレクター
河内 章(かわち あきら)
2006年、ジェトロ入構。デザイン産業課(2010年〜2014年)、ジェトロ仙台(2014年〜2016年)などを経て、2016年4月より現職。米国自動車メーカーと日系サプライヤーの商談支援や、米国企業による日本進出支援、米国・中西部のスタートアップ・イノベーションなどを主に担当している。