インドに次ぐ南アジアのIT起業家供給地(パキスタン)
豊富なデジタル世代がスタートアップを立ち上げ

2019年6月13日

2019年2月に福岡で開催されたeスポーツ大会では、対戦格闘ゲーム「鉄拳」部門で23歳の無名のパキスタン人選手が優勝し、日本でも話題になった。あまり知られていないが、パキスタンは人口2億人、かつ平均年齢23.5歳と、若年世代が豊富だ。同世代はデジタルに強く、若手起業家が生まれる土壌となっている。同国のデジタル市場は急成長しており、南アジアではインドに次ぐイノベーション拠点になりうる潜在性を備える。しかし、これまでのパキスタン人起業家の成功事例をみると、母国のエコシステムが脆弱(ぜいじゃく)なため、国外でスタートアップを立ち上げている。政府はイノベーション促進機関を設立し、パキスタン発のユニコーン誕生を目指す。

アリババやウーバーがにらむ、パキスタンのeエコノミー

南アジアで、スタートアップやイノベーションの集積地といえば、ベンガルールを中心としたインドを真っ先に思い浮かべるが、パキスタンを挙げる人はまれだろう。実は、同国は2億人超の人口を抱え、そのうち30歳未満が62.9%と若く、デジタル世代の豊富さは世界有数だ。英話者の多さ(約1億人)などの言語的条件、地理的条件もインドに似ている。しかし、日本におけるパキスタンのイメージは、「貧困」「テロ」といったネガティブ情報が先行し、同国のデジタル・IT分野の有望性に気が付く日本人は少ない。

確かに数年前までのパキスタンでは、自動車やエアコンと同様、一部の富裕層・エリート層のみがインターネットを利用していた。同国のブロードバンド通信の契約者数をみると、2014年6月時点では518万人と、その普及率も2.6%にとどまっていた。だが、スマートフォン(携帯通信)の普及とともに、ネットユーザーが急速に増え始め、2019年4月時点では6,958万人にまで拡大した。特に富裕層でなくともスマホを利用し、SNSやソーシャルメディア、オンラインゲームを楽しむようになっている。

図:パキスタンのブロードバンド契約者数・普及率
2014年6月時点では518万人と、その普及率も2.6%に留まっていた。だが、スマホ(携帯通信)の普及とともにネットユーザーが急速に増え始め、2019年4月時点では6,958万人にまで拡大した。

出所:パキスタン電気通信庁(PTA)

パキスタンのデジタル市場に着目し、中国の電子商取引(EC)大手アリババは、2018年5月にパキスタンEC大手Daraz(ダラズ)を買収した。Darazは、ドイツ企業Rocket Internetが2012年に設立したECサイトで、バングラデシュ、スリランカ、ミャンマー、ネパールにも展開している。

また、パキスタンの配車サービス市場には、中東のユニコーン(企業価値または時価総額が10億ドル以上となる未上場ベンチャー企業)である、ドバイの配車大手Careem(カリーム)が2015年に参入した。同社の共同創業者であるムダシール・シェイカ最高経営責任者(CEO)は、パキスタン南部の同国最大都市カラチで生まれたパキスタン人。Careemの主要市場の1つがパキスタンだ。米国の配車サービス大手Uber(ウーバー)も2016年からパキスタンでサービスを始め、Careemと市場シェアを争ってきたが、2019年3月にUberがCareemを買収し、Uberがパキスタン市場で最大シェアを獲得した。

著名な起業家を輩出するパキスタン

パキスタンは、IT人材の供給地としても有望だ。パキスタンのITエンジニアは、人件費が低廉な割に優秀だと評価されており、米国の大手銀行のシステムや日本のゲームを開発しているのも、実はパキスタン人という事例は多い。

パキスタンでは、優れた起業家も輩出されてきた。前述したシェイカCEOのほか、米国のサイバーセキュリティー会社FireEye(ファイア・アイ、時価総額29億4,000万ドル)を創業したアッシャー・アジズ最高技術責任者(CTO)もパキスタン生まれだ。米国で3つのユニコーンを創業したシリアル・アントレプレナー(連続起業家)のジア・チシュティ氏も、パキスタン人と米国人のハーフで、高校までパキスタン東部の主要都市ラホールで育っている。

ただ、3人とも米国の大学を卒業した後、アラブ首長国連邦(UAE)や米国など、国外のエコシステムで起業して成功している。パキスタン発のユニコーンの数は、(前述のDarazの評価額にもよるが)今のところ0社だ。パキスタンには人材の豊富さ、デジタル市場の規模という魅力はあるものの、エコシステムやスタートアップ環境が整備されていなかったことにも原因がありそうだ。

2016年に国内初のイノベーション拠点を開設

そこで政府は、2016年に国内初のイノベーション促進機関として、ナショナル・インキュベーション・センター(NIC)を創設した。首都イスラマバードをはじめ、各州の州都であるラホール、カラチ(パキスタン南部沿海部の同国最大都市)、ペシャワール(同北西部)、クエッタ(同西部)の主要5都市にNICを設置。有望な起業家を選抜し、(1)12カ月にわたるインキュベーション・プログラム、(2)アクセラレーション・プログラム、(3)メンターによるアドバイス、(4)16週間の個別カリキュラム、(5)ネットワーキング・イベント、(6)資金供与プログラムなどの提供を始めた。コワーキングスペース、AR・VR実験室といった設備も併設した。


NICイスラマバード(ジェトロ撮影)

NICイスラマバード内のコミュニティ・スペース
(ジェトロ撮影)

NICは官民連携事業として運営されており、官側は情報通信省傘下のICT・R&D基金であるIgnite(イグナイト)が参画している。民間側からは、携帯通信大手Jazz(ジャズ)傘下のJazz xlr8(ジャズ・アクセラレート)が起業家向けのアクセラレーション・プログラムや資金プログラムを提供している。日々のプロジェクトやイベントなど運営面については、スタートアップ支援会社のTeamup(チームアップ)が担当している。


Teamupのファシエ・メタ氏(左)と
Igniteのムハマド・アリ・イクバル氏(右)
(ジェトロ撮影)

NICはこれまでに、4期にわたってプログラムを実施した。4期で2,400人の起業家から応募があり、選ばれた97人の起業家がプログラムを受講した。2018年末までに290人を超える起業家がNICで創業しており、そのうち32人は女性起業家となっている。スタートアップが増えた結果、新たな雇用や投資が生まれており、経済効果も表れている。


NICには女性起業家も多く在籍する(ジェトロ撮影)

NICに関心を持つ外国企業・団体もあり、共同事業の事例もいくつか出てきている。Teamupのプロジェクト・マネージャーであるファシエ・メタ氏によると、Facebook(フェイスブック)など大手テック企業もNICを訪れている。米国やベトナムのスタートアップ支援機関と連携したイベントやプログラムもあるという。

シンプルで低価格な製品・サービスを開発

NICに在籍するスタートアップをいくつか紹介しよう。Deaf Tawk(デフトーク)はNICを代表するスタートアップで、国連開発計画(UNDP)が2019年4月にベトナム・ハノイで開催したスタートアップ・イベント『Youth Co:Lab 2019』において、優秀賞とインクルーシブ・ソリューション賞に輝いている。同社が開発しているのは、聴覚障がい者向けの通訳アプリだ。パキスタンには900万人の聴覚障がい者がいるが、大学受験や企業の採用面接、病院での受診などに際し、困難を伴うことが多い。そうした問題を解決するため、同社はアプリを通じ、オンライン上で手話通訳者とつなぎ、先方と聴覚障がい者のコミュニケーションを支援する。料金も月額500パキスタン・ルピー(約365円、1パキスタン・ルピー=0.73円)と低価格で利用しやすい。同社アプリを利用し、69人の聴覚障がい者が面接を経て企業に採用され、14人が大学入試に合格したという実績も出ている。今後、ディープラーニングを用い、オフライン時でも通訳が可能になる予定だ。


Deaf Tawkで手話から英語へ通訳してもらう(ジェトロ撮影)

2018年8月のパキスタン・ソフトウエアハウス協会(p@sha)が主催しているICT賞や、同年10月のウーバーが主催したピッチイベントで優秀賞を獲得したXylexa Inc.(シレクサ)も、NIC発の有望スタートアップだ。同社は、肺がんの早期発見を目的とした画像認識ソフトを開発している。現状、パキスタンではX線を使った肺がんの発見率は70%以下だが、3万5,000人のデータセットからアルゴリズムを使い、がんを発見しやすいように画像処理する。同社サービスは、主にセカンドオピニオンを得たい患者に利用されている。通常、セカンドオピニオンを受けるには高額な費用と時間がかかるが、Xylexaは安価で使いやすい点が評価されている。利用者は、クラウド上に肺部分のデジタル画像をアップロードすればいいだけだ。


低コストで肺がんの早期発見ができるXYLEXA(ジェトロ撮影)

同様に、一般的なソフトより低価格を実現しているのは、フライトシミュレーション・ソフトを開発するOtus Technologies(オータス・テクノロジーズ)だ。通常、航空宇宙の研究機関や航空機メーカーが利用するシミュレーション・ソフトは数万ドルかかるが、同社のソフト「Dyna Flight」はそれより90%以上も安い価格で提供されており、精度も高い。すでに500以上の研究機関や航空機メーカー向けに販売されており、パキスタン防衛省など省庁でも利用されているほか、英国をはじめとする外国企業にも納入実績がある。


Dyna Flightは一般的なソフトより9割も料金が安い(ジェトロ撮影)

パキスタン・スタートアップの特徴としては、シンプルで低価格であることを含めた使いやすさ、コストパフォーマンスに強みを持っている企業が多い。特に高コスト体質になりがちな日本企業にとって、有力パートナーになる可能性がある。日本企業はパキスタンの自動車市場でほぼ100%のシェアを握るなど同国市場におけるプレゼンスは高い一方、現在の主要顧客である富裕層だけでなく、マス・マーケットへの展開が課題となっている。今後、日本企業とパキスタン・スタートアップの協力に期待が高まっている。

インドとの比較でいえば、スタートアップの層の厚さ、IT産業の集積度合い、エコシステムの整備状況、外国企業からの関心という点で、パキスタンは今一歩及ばない。それゆえに、日本企業からすれば、割安にサービスを利用したり、システム開発を依頼できる可能性がある。他社と競合せず、提携・買収交渉も有利な条件で進められるかもしれない。また、パキスタンの2億人市場の内需を狙ったり、ムスリム向けサービス、中東への出稼ぎ労働者向けアプリなどといった、パキスタンならではの特長や持ち味を生かすのも一案だろう。

執筆者紹介
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課 リサーチ・マネージャー
北見 創(きたみ そう)
2009年、ジェトロ入構。海外調査部アジア大洋州課(2009~2012年)、ジェトロ大阪本部ビジネス情報サービス課(2012~2014年)、ジェトロ・カラチ事務所(2015~2017年)を経て現職。