特集:どう描く?今後の中南米戦略門戸を開くメルコスール(ブラジル、アルゼンチン)

2018年6月22日

メガ自由貿易協定(FTA)交渉先候補として南米南部共同市場(メルコスール)の名前が産業界から上がり始めている。

日本の経団連とブラジルの全国工業連盟(CNI)が2015年9月に発表した「日伯EPAに関する共同研究報告書」の結論に、「貿易自由化、投資障壁の撤廃、ビジネス環境の向上を目的とした法的枠組みを確立することにより、2国間貿易や互恵的な直接投資が促進される」とし、日本とブラジルの包括的な経済連携協定(EPA)の成立を目指した交渉開始に取り組むべきとの文言がある。その後、2017年9月にブラジルのクリチバで開催された日伯経済合同委員会において、日本とメルコスールとのEPA早期交渉開始を両国政府に働き掛けるべく、日伯間に限定されていた上記報告書を2018年の合同委員会までにアップデートすることで合意した。なお、メルコスールは2000年に決議された文書(共同市場審議会決議32号)をもって、2001年6月30日以降、新たに優遇関税を供与する協定を締結する場合は、加盟国全体として締結しなければならない。つまり、日本とブラジル間でEPAを結ぶ場合は、他の加盟国も含めたメルコスールとの間で交渉し、協定を締結する必要がある。

産業界から日本とのEPA締結を望む声

メルコスールの性格や位置付けは時代によって大きく変化してきた。そしてまさに今、メルコスールは再建期に当たり、中南米域外諸国との通商協定がメルコスール側にも必要な状況となっている。日本、メルコスール双方の産業界からEPA締結の要望が出されているのもこうした変化が背景にある。

メルコスールの変化について、上智大学の堀坂浩太郎名誉教授はその足跡を6つの区分に分けている。補足説明を加えると表1のとおりだ。

表1:メルコスールの変遷
(1)始動期 1985~1990年:債務危機、ブラジルの民政化という変化の時代にブラジルとアルゼンチン間で貿易活性化を通じた共同体結成目指す発想が生まれる。
(2)自由市場形成期 1991~1994年:1991年のアスンシオン条約をもってメルコスール創設。緩衝国としてのウルグアイ、パラグアイも参加し4カ国で共同市場を目指す。ブラジルは輸入代替工業化政策を転換し、自由主義経済にかじを切る。自由化初期としてはブラジル製品の受け皿として近隣諸国の市場は重要だった。
(3)関税同盟進展期 1995~1999年:1995年にオウロプレット条約に基づき関税同盟としてのメルコスール始動。
(4)経済危機期 1999~2002年:アジア・ロシア危機の余波がメルコスール諸国にも波及。新興国通貨がターゲットに。ブラジルは為替制度をクローリングペッグ制から変動相場制への移行を余儀なくされ、アルゼンチンも不安定に。
(5)政治優先期 2003~2016年:中国の資源需要拡大。ブラジル、アルゼンチンともに高成長を続ける。各国で左派政権誕生。
(6)メルコスール再建期 メルコスール外の国々との通商協定締結ないし拡大・深化に向けた動き。メルコスール加盟国間でも政府調達に関して域内企業に対する無差別を保証する政府調達協定に調印。
出所:
時代区分名称は堀坂上智大学名誉教授。その他各種報道、資料を基に作成

ブラジルとアルゼンチンの平均関税率の動きは各区分の政治、経済環境を背景にしている。まず、表1の(2)の自由市場形成期(1990年代前半)を図でみると、インフレ抑制のために市場開放策を進めていたブラジルの平均関税率が急激に低下しているのが分かる。また、(3)の関税同盟進展期の各国の通貨高(注)を踏まえた外貨準備確保のための輸入抑制の必要から関税が引き上げられていること、そしてこの状況は、(4)の経済危機期後に資源ブームに乗ってブラジルやアルゼンチンの経済が上向くにつれて引き下げられている。

図:メルコスール諸国の平均(単純平均)関税率推移
1990年のブラジルの平均関税率は33.5%。1991年はブラジルが27.5%、パラグアイが15.4%。1992年はアルゼンチンが14.2%、ブラジルが23.5%、ウルグアイが6.95%。1993年はアルゼンチンが13.2%、ブラジルが15.7%。1994年はブラジルが14.5%、パラグアイが8.75%。1995年はアルゼンチンが12.7%、ブラジルが13.23%、パラグアイが9.72%、ウルグアイが12.65%。1996年はアルゼンチンが14.5%、ブラジルが15.1%、パラグアイが11.7%、ウルグアイが13%。1997年はアルゼンチンが14.4%、ブラジルが14.4%、パラグアイが12.1%、ウルグアイが13.2%。1998年はアルゼンチンが16.7%、ブラジルが17.2%、パラグアイが12%、ウルグアイが15.4%。1999年はアルゼンチンが15.2%、ブラジルが15.9%、パラグアイが10.8%、ウルグアイが15.5%。2000年はアルゼンチンが15.2%、ブラジルが16.7%、パラグアイが13.6%、ウルグアイが13.3%。2001年はアルゼンチンが13.2%、ブラジルが15%、パラグアイが13.6%、ウルグアイが13.1%。2002年はアルゼンチンが14.8%、ブラジルが14.7%、パラグアイが13.4%、ウルグアイが14.7%。2003年はアルゼンチンが14.7%、ブラジルが14.4%、パラグアイが13.4%。2004年はアルゼンチンが11.9%、ブラジルが13.2%、パラグアイが9.7%、ウルグアイが11.5%。2005年はアルゼンチンが10.6%、ブラジルが12.3%、パラグアイが8.41%、ウルグアイが9.87%。2006年はアルゼンチンが10.6%、ブラジルが12.1%、パラグアイが7.17%、ウルグアイが9.64%。2007年はアルゼンチンが10.8%、ブラジルが12.1%、パラグアイが8%、ウルグアイが9.52%。2008年はアルゼンチンが10.5%、ブラジルが13.1%、パラグアイが8.46%、ウルグアイが9.6%。2009年はアルゼンチンが11.4%、ブラジルが13.3%、パラグアイが7.95%、ウルグアイが9.57%。2010年はアルゼンチンが11.3%、ブラジルが13.3%、パラグアイが8.33%、ウルグアイが9.63%。2011年はアルゼンチンが11.3%、ブラジルが13.5%、パラグアイが8.4%、ウルグアイが9.8%。2012年はアルゼンチンが11.1%、ブラジルが13.8%、パラグアイが8.34%、ウルグアイが9.76%。2013年はアルゼンチンが12.2%、ブラジルが14.8%、パラグアイが8.24%、ウルグアイが9.84%。2014年はアルゼンチンが12.6%、ブラジルが13.7%、パラグアイが8.14%、ウルグアイが9.81%。2015年はアルゼンチンが12.5%、ブラジルが13.7%、パラグアイが8.1%、ウルグアイが9.81%。2016年はアルゼンチンが12.6%、ブラジルが13.6%、パラグアイが8.28%、ウルグアイが9.94%。
出所:
世界銀行データから作成

なお、2000年代にブラジルとアルゼンチンで左派政権が誕生し、だんだん「内向きの」性格になってくる。もともとメルコスールは民主主義国家同士の結束を旨としていた。1998年発効のウシュアイア議定書に民主主義条項も定められている。しかし、次第に左派政権の政治イデオロギー確認の場として位置付けられるようになってきた。同じ急進左派のベネズエラやボリビアの加盟に向けた動きが活発化したことが、メルコスールの性格の変化を象徴している。域内外の貿易自由化に向けた動きは止まり、保護主義的な色彩が濃くなってくる。米国への対抗色が鮮明となってきたほか、EUなど先進諸国との協定締結の動きは止まり、途上国同士で連帯して国際的な発言力を増そうという南南外交政策を背景に、貿易面ではさほど重要でない国々と細々と協定交渉がなされていた。米州自由貿易圏(FTAA)交渉は2005年に頓挫し、2000年に開始されていたEUとのFTA交渉も2004年に中断した。2000年代後半になると、ブラジル、アルゼンチンとも資源ブームを背景とする国内の景気拡大と通貨高による輸入増加を踏まえ、関税を引き上げる動きがみられ、平均関税率も上昇するなど、域内も貿易自由化と逆行する動きが目立った。

メガFTA網形成に向けキャッチアップ急ぐメルコスール

しかし、こうした状況もアルゼンチンにおけるマウリシオ・マクリ政権の誕生(2015年12月)、ブラジルにおけるルセフ大統領の弾劾成立(2016年8月)以降、急激に変化した。2014年以降、資源ブームの終了、中国経済の減速、米国における金融緩和策の変更など外部環境の変化を背景に景気は悪化。それまで財政状況を軽視した景気刺激策を行っていたブラジル、アルゼンチン両国においては、大規模な財政支出を必要とせず、かつ自国通貨安という状況を生かせる輸出振興策が景気回復に向けた重要な政策として位置付けられた。

ブラジルでは2015年1月の第2次ルセフ政権誕生後、大統領自身が米国やメキシコなど市場アクセスの改善に動いたほか、開発商工省のアルマンド・モンテイロ大臣(当時)はコロンビアやペルーなどとALADI(ラテンアメリカ統合連合)の枠内で結ばれていた既存の経済補完協定の深化交渉に乗り出した。しかし、域外との交渉については南南協力がまだ維持されていた。従って、通商交渉相手としては「途上国(レバノン、チュニジア)」などの名前がブラジル開発商工省のサイトには記載されていた。当時はまだアルゼンチンで急進左派のクリスティーナ・フェルナンデス・キルチネル大統領が外資を接収するなど保護主義的な色彩をさらに強めていた時期であり、メルコスールとしての通商方針を変更するのはブラジルをもってしても難しかった。

しかし2015年12月にアルゼンチンでマウリシオ・マクリ大統領が就任し、さらに2016年5月にブラジルでルセフ大統領の弾劾プロセス進展でミシェル・テーメル暫定政権が発足。8月の同政権発足で通商政策はそれまでの内向きなものから外向きなものに完全に変わる。近年の動きについては、表2の中南米域内諸国との交渉状況、表3の域外諸国との交渉状況を参照されたい。

表2:再建期にあるメルコスール(ブラジルの動き、ブラジルからの視点を中心に)
対象国・地域 時期 協定 内容とポイント
ペルー 2016年4月(締結) ACE58号(2005年発効)の拡大深化 サービス、投資、公共調達、仲裁の追加などがポイント。ペルー側で残存している自動車についての関税削減も前倒し。2018年6月現在で未発効。
コロンビア 2017年12月(発効) ACE59号(2005年発効)を拡大深化し、ACE72号 自動車貿易の無関税枠の段階的拡大(2017年1万2,000台、2018年2万5,000台、2019年以降5万台)。2017年12月アルゼンチンにおいても発効。
チリ 2018年4月(締結) 公共調達、金融サービスについての覚書締結 ブラジルとチリの間で公共調達についての共通の制度的枠組み構築。金融サービス部門の投資については両国の投資家を同等の扱いとすることなど。
メキシコ 改定交渉中 ACE53号 拡大・深化に向けた交渉を継続。
出所:
各種資料に基づき作成

表3:メルコスールと他地域との交渉をめぐる動き

発効済み
対象国・地域 時期など 内容とポイント
イスラエル 2009年 FTA発効。
南部アフリカ関税同盟(SACU) ボツワナ、レソト、ナミビア、南アフリカ共和国、エスワティニ(旧スワジランド) 2016年 特恵貿易協定。メルコスール側で1,076品目、SACU側で1,026品目が関税低減の対象。
エジプト 2017年 FTA発効。
締結済み(未発効)
対象国・地域 時期など 内容とポイント
パレスチナ 2011年 2011年12月に署名も未発効。
交渉中
対象国・地域 時期など 内容とポイント
EU 2000年 2000年交渉開始。3度の中断を経て2016年10月に交渉再開。2018年4月までに8度のラウンド。残りの交渉のポイントは次のとおり。(1)自動車の関税撤廃までの猶予期間、(2)地理的表示、(3)知財、(4)牛肉輸出枠、(5)エタノール輸出枠。
EFTA 2017年 2017年10月に交渉開始。同年8月、10月に会合。第4回会合は2018年7月ごろの予定。
カナダ 2018年3月 FTA交渉開始。第2回会合は6月にブラジリアで開催。
韓国 2018年5月 FTA交渉開始。交渉官レベル会合は7月、11月の予定。
その他
対象国・地域 時期など 内容とポイント
太平洋同盟 2017年 4月にメルコスール・太平洋同盟外相・財務省会議開催。貿易の円滑化、中小企業支援などについてワーキンググループを設置。
シンガポール ASEANとのFTAの前哨戦としてのシンガポールとの交渉。2018年中に閣僚級会合実施か。
出所:
ブラジル商工サービス省ウェブサイトや各種資料を基に作成

メルコスールは2017年8月にベネズエラを正式に資格停止とした。もし、同年に予定どおりベネズエラが議長国に就任すると、EUとのFTA交渉が止まってしまうという可能性があった。先進国との通商協定締結に反対するベネズエラは、メルコスールの方針転換に抵抗を示し、これが資格停止に向けた動きの背景となったことは無視できない。

なお、2017年1月に米国でトランプ政権が発足し、アメリカファーストの御旗の下で保護主義的な通商政策が次々と打ち出された。環太平洋パートナーシップ(TPP)をはじめ、世界的なメガFTA形成の動きにブレーキがかかった。これはFTA網形成で世界に後れを取っているメルコスールにとっては、他国・地域にキャッチアップする絶好の機会でもあった。ブラジルの2017年の大統領教書には「孤立主義と通商の保護主義化を懸念し、立ち向かう」との文言が入り、先進国とも途上国とも対等に付き合う伝統的な全方位外交に戻ることが明記された。EUとのFTAのほか、同じ自由貿易を掲げ、世界最大の市場を持つアジア地域と接触を始めるのと並行して、メルコスール域内の政府調達の規定を改定(2017年12月調印)するなど、自由化水準の高い協定を結んでいる国々との今後の通商交渉に向けた備えを急いでいる。


注:
ブラジルのクローリングペッグ制、アルゼンチンの兌換(だかん)制を背景に通貨が割高となり、輸入が増加した。
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部 主幹(中南米)
竹下 幸治郎(たけした こうじろう)
1992年、ジェトロ入構。ジェトロ・サンパウロ事務所(調査担当)(1998~2003年)、海外調査部 中南米チーム・チームリーダー代理(2003~2004年)、ジェトロ・サンティアゴ事務所長(2008~2012年)、その後、企画部事業推進主幹(中南米)、中南米課長、米州課長等を経て現職。