特集:AIを活用せよ!欧州の取り組みと企業動向人口当たりのAIスタートアップ数では欧州でトップ(スイス)
スイスのAIに関する研究開発・起業動向

2019年5月17日

スイスはデジタル研究開発戦略の中に盛り込む形で人工知能(AI)活用を推進しているが、研究開発は現状、主に民間主導で進められている。他方、欧州屈指の工科大学であるスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)とローザンヌ校(EPFL)に支えられた豊富な高度人材により、AIスタートアップの創出や、欧米企業のグローバルAI研究開発拠点立地が進んでいる。スイスにおけるAI戦略や企業の取り組みを紹介する。

EUデジタル単一市場戦略と緊密に連携

スイスは、EU非加盟国ながら、EUのAI戦略策定にもメンバーとして参加している。EUデジタル単一市場戦略との緊密な連携を目指しており、EU・スイス間のデータの流通を進めることや、AIによる構造変化に対応できるような人材育成、制度整備、公衆との対話を重視している点など、AI研究・活用の政策的方向性はEUとよく似ている。

ただし、スイスは国レベルでは、EUのようにAIに特化した戦略を策定しているわけではなく、デジタルトランスフォーメーションを進めるためのデジタル化、オープンデータ化などの各種戦略の中に、AI活用が盛り込まれているのが現状だ。

スイスはAIを含めたデジタル研究開発戦略「デジタル・スイス(Digital Switzerland)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」の最新版外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます を2018年9月6日に策定した。2018年戦略では、今後2年間に必要となる政府の取り組みを示しており、次の4つの原則と、主たる目標として、以下を掲げている。

参考1:「デジタル・スイス戦略2018」が掲げる4つの原則と、主たる目標

4つの原則
デジタル化政策は市民を最優先し、自主的な決断を尊重し、政策決定参加を促すこと。
デジタル化への移行を実現できる環境整備に努めること。
デジタル化がもたらす構造変化が円滑に進むよう、地域的・文化的多様性への配慮やレジリエンス(立ち直り)の確保のためスイス国全体で取り組むこと。
構造変化と課題の克服に向けたデジタル化への移行プロセスを関係者で共有し、合意形成に努めること。
主たる目標
すべての市民の平等な機会及び連帯の強化
セキュリティ、信頼及び透明性の確保
市民のデジタル技能の強化とそれによる新たな恩恵享受の継続
付加価値、成長及び繁栄の確保

出所:「デジタル・スイス戦略2018」を基にジェトロ作成

AIは、同戦略の中で、データおよびコンテンツのデジタル化の文脈で言及されており、経済の成長要因となるデジタル化を推し進める重要なツールとして位置付けられている一方、そのリスクにも言及されている。

併せて、デジタル・スイス戦略実施のため、以下のアクションプラン外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます が策定されている。

参考2:デジタル・スイス戦略実施のためのアクションプラン

デジタル・スイス戦略実施のためのアクションプラン
連邦参事会(内閣)にAIに関する省庁横断的な作業部会を設置し、教育研究イノベーション省(SERI)が事務局を務めること。同作業部会はこれまでの施策の評価や今後取り組むべき分野を特定し、2019年秋までに報告書を取りまとめること
環境運輸エネルギー通信省(DETEC)は、2019年半ばまでにスマートシティ、スマートビレッジ、スマートリージョン(地域)構築のために必要なコンセプトとアクションプランを取りまとめること
連邦政府が直面する困難な課題を解決するため、連邦参事会(内閣)は、革新的な取り組みの実証、適用が必要とされる課題の特定、実施方法の提示を2019年半ばまでに行うこと
2018年末まで、スイス国内各州とのデジタル化に関する対話を継続すること

出所:「デジタル・スイス戦略2018」を基にジェトロ作成

スイスはAI研究開発と産業応用のため必要とされるデジタル化促進について、デジタル・スイス戦略を2014年から策定するなど、デジタルデータの利活用、電子政府の推進など、関連した政策で進んでいる点もある。

データの流通促進に向けては、2018年2月にデータの再利用可能性と関係法令についてのレポートPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(991KB)(ドイツ語)が取りまとめられた。AI技術の研究および産業への応用を進めるに当たり、データの流通は重要である一方、透明性の確保が重要であることを指摘し、国際協力の下、利用状況の監視および評価を進めていくこととしている。

政府が保有するデータの流通促進の動きとしては、オープンガバメントデータ戦略(2014-2018年)が2014年4月に策定された。これを受け、政府が保有するデータを提供するプラットフォーム「opendata.swiss外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」が整備され、現在6,000以上のデータセットが掲載されている。さらに、2018年11月に採択された2019-2023年の次期長期戦略PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(464KB)において、2020年までに政府が公開するすべてのデータを無料かつアクセスを容易にする方針が打ち出された。

豊富なAI人材を求め、欧米グローバル企業が拠点を設置

スイスではこれまで、欧州原子核研究機構(CERN)のような国際機関による研究を除けば、公的機関による大型の研究プロジェクトは存在していなかった。欧州屈指の工科大学であるETHとEPFLの2つが、人材輩出やスタートアップ創出の観点から抜きんでた存在ではあるものの、AI研究は民間に委ねられてきたと言える。また、スイス連邦・州政府は原則として、大企業よりも中小企業支援に重点を置いている。

教育研究イノベーション省傘下の研究イノベーション委員会(CTI)が中小企業支援を行ってきたが、2017年に、産学の連携をより重視した資金提供機関として、イノスイス(Innosuisse)に組織変更してイノベーション支援を行っている。

(1)公的研究・教育機関

スイスの主要な公的AI研究開発機関は以下のとおり。特に、スイスに2校しかない連邦工科大学のETHとEPFLは「THE世界大学ランキング2019」でそれぞれ世界11位と35位であり(東京大学は42位)、欧州圏内の工学系大学最高峰といってもよく、例えばチューリッヒにAI研究開発拠点を置くIBM、グーグル(Google)、ディズニー・リサーチラボは、ETHからの人材獲得が立地目的の1つとも言われている(表1参照)。

表1:スイスの主要な公的AI研究開発機関
研究機関名 概要
スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH) AI関連の研究室としては、自律システムラボ、センサーモーターシステムラボ、リハビリエンジニアリングシステム等が存在する。
ドイツのマックス・プランク研究所とのパートナーシップによるETHC(学習システムETHセンター)が2015年に設立された。
スイス連邦工科大ローザンヌ校(EPFL) バイオロボティクスやナノテクノロジーに強みをもつ工科大である。AI関連では、人工知能研究所(LIA)を設立しているほか、EUが欧州最大級の研究イニシアチブプロジェクトと位置付け2013年から合計10億ユーロを投入している「ヒューマン・ブレイン・プロジェクト」の設立パートナーになっている。
IDSIA研究機関(スイスAIラボ)(ルガノ地区) IDSIA(Dalle Molle Institute for Artificial Intelligence Research)は南スイス応用科学大学とイタリアのUniversità della Svizzera Italiana(スイスイタリア大学)が協力して設置した人工知能研究開発機関。ディープラーニングとニューラルネットワーク研究が盛ん。
人工知能社会学研究機関(IDIAP)(バレー州) EPFLと提携関係にある非営利の独立研究機関。
チューリッヒ大学(UZH)情報科学部AIラボ チューリッヒ大学内にあるAIラボ。

出所:各種資料を基にジェトロ作成

そのほか、バーゼル大学、ルツェルンの州立大、南西スイス応用科学大学(HESOS、ヌーシャッテル)にもAIラボが存在する。

(2)産業団体

スイスの主要なAI関連産業団体は、表2のとおり。

表2:スイスの主要なAI関連産業団体
産業団体名 概要
デジタル・スイス(DigitalSwitzerland) スイスにおいて人工知能の研究及び導入を進めていくためのスイスの産学代表者から構成される事業者団体。
スイス・コグニティブ(SwissCognitive) 2016年9月立ち上げられた非営利団体。150社以上の関連企業に対してAIに関する情報共有を行っており、EUのAI戦略策定にもスイス代表として参加している。
マインドファイヤ(Mindfire) AI関連ソフトウェア開発のStarmind Internationalが中心となって立ち上げたツークに拠点をおく非営利団体。人間の知性メカニズムの解明とその成果をブロックチェーンで普及することを目的としている。
スイス人工知能・認知科学グループ(SGAICO) AIの社会におけるイノベーションに活用することを目指す、産学連携促進プラットフォーム。
Digital.Swiss 企業のデジタル化の深度をスコアカード形式で表示する情報プラットフォームを提供している。

出所:各種資料を基にジェトロ作成

(3)産業界の主要プレーヤー

  • IBMリサーチラボ
    IBMは基礎研究を行うため6大陸に12のリサーチラボ(基礎研究所)を擁し、産業界では屈指の研究開発機能を有する。IBMチューリッヒリサーチラボは、比較的古く1956年に設置され、超電導、スマートカード(半導体チップなどを埋め込んだカード)、ネットワークなどの研究開発活動を行っている。AIに関しては、新たな機械学習モデル訓練スキームの構築、ブロックチェーン活用、医療応用などの研究が進められている。
  • グーグル(Google)ヨーロッパ・チューリッヒリサーチセンター
    グーグルは、ETHからの人的資源獲得やスイス内外の大学・研究機関との協業のため、2004年チューリッヒにリサーチセンターを開設した。現在2,000人以上の研究者を要し、2016年には米国外で最大規模の研究拠点として位置付け、ここ数年、急速に機械学習(ML)関連研究を強化している。2021年までに3,000人規模に拡張予定である。
    同リサーチセンターでは、MLの研究開発のほか、Googleカレンダー、メッセンジャー、動画サイトYouTubeやGoogleマップのアプリの一部の開発を行っている。
  • ディズニー・リサーチラボ
    ディズニーは、米国カリフォルニアとチューリッヒにリサーチラボを設置し、コンテンツの画像処理に関する研究開発を行っている。チューリッヒリサーチラボはETHの隣に立地しており、ETHのコンピューター・グラフィックス(CG)研究室と連携し、次世代の映像に関する研究活動を行っている。
  • UBS AI研究センター
    スイス最大の銀行であるUBSは、ルガノにあるIDSIAと提携して、AI研究センターを2018年1月に設立した。
  • スイスコム(Swisscom)AIラボ
    スイス最大の通信企業であるスイスコムは、2015年12月にEPFLとデジタル分野での協力について署名し、2016年にEPFL敷地内に共同AIラボを設立。

なお、スイスの研究開発動向については、2018年1月にスウェーデン・ストックホルムで開催された欧州人工知能協会(EurAI)主催ワークショップ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます などでも体系的に紹介されている。

人材育成環境では世界1位

スイスコムが四半期ごとに発表する資料によると、AI関連スタートアップ企業は100社以上(2019年4月現在、2019年第1四半期分まで発表)ある。スイスで顕著なのが、人口当たりでみたAI関連の活動状況である。調査会社ASGARD調べによれば、2017年時点の人口当たりのAI企業数は2.53社/100万人と欧州の中で最大だった。

背景としては、人材面で国際的な競争力を持つ教育環境が整っていることと、ビジネスを始めるためのイノベーション環境が整っていることが大きいと考えられる。

人材面については、スイスでは、リベラルアーツや研究については総合大学、職能については技術職業専門学校による、ダブルトラックの人材育成システムを構築しており、前述の2つの連邦工科大学からの人材だけでなく、プログラマーなどにおいては各地に設立されている応用科学大学が人材輩出を支えている。

これらの環境もあり、人材育成環境については、INSEADによる2019年国際競争力インデックスでは、スイスは6回連続で世界1位となっている(2019年2月27日記事参照 )。特に人材育成・能力保持、人材の取り込みに関する市場環境で世界最高水準と評価されている。

イノベーション環境については、WIPOのグローバルイノベーションインデックス(GII)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます で、スイスは2011年以降8年連続で世界第1位として評価されている(2018年ランキングの世界第2位はオランダ、第3位はスウェーデン)。GIIは、イノベーションにかかわる研究機関の活動状況、特許取得などの知識産出、ビジネスの洗練度、マーケットの洗練度、インフラ、人材などの評価軸でイノベーション環境を評価するもので、特にスイスは投入量当たりの研究機関活動や特許などの成果創出とその費用対効果評価が世界最高であった。

個別AIスタートアップについて見ると、スイスコムが四半期ごとにスイス有望AIスタートアップのマップ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます を公表しており、前述のとおり2018年第4四半期時点では123社が選ばれている。

米国のスタートアップ情報プラットフォーム「クランチベース外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」のデータに基づいた投資関連メディア「ナナライズ(Nanalyze)」社の分析によれば、スイスのAI関連スタートアップ投資額トップ10(2019年1月9日発表)は、表3のとおりである。

表3:スイスのAI関連スタートアップ投資額トップ10(単位:100万USドル)
企業名 活用分野 都市 資金調達額
ソフィア・ジェネティクス(Sophia Genetics) ヘルスケア ローザンヌ 140
スターマインド(Starmind) ビッグデータ キュスナハト 25
KNIME ビッグデータ チューリッヒ 21.5
Avrios 物流管理 チューリッヒ 14
ガマヤ(Gamaya) 農業テクノロジー ローザンヌ 7.6
ピアビータ(Piavita) アニマルヘルス チューリッヒ 6.5
エンボイ(Envoy) ビッグデータ シャフハウゼン 5
アドバーティマ(Advertima) マーケティング ザンクト・ガレン 5
ハイテク・ブリッジ アプリケーション・セキュリティ ジュネーブ 4.3
ファスツリー3D 自動運転車 エキュブラン 3.8

出所:Nanalyze社資料を基にジェトロ作成

AIの活用が期待される産業分野の1つとして、認証、企業リスク管理、個人信用管理、多国籍納税ソリューションなどのフィンテック分野が挙げられるが、スイスのフィンテック関連メディア「フィンテックニュース」は、認証分野でのスイスの主要なスタートアップ企業外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます (2019年2月現在)として29社を挙げている。

(参考)スイスにおけるユニコーン企業

10億ドル以上の市場評価額をもつ未上場企業は「ユニコーン」と呼ばれるが、2018年現在でユニコーンに該当すると推定されているスイスに拠点を有する企業は以下の3社である。

  • MindMaze(評価額10億ドル)(本社:ローザンヌ):
    インドのヒンドゥージャ財閥が設立した、医療分野でのVR(仮想現実)応用サービス。
  • Avaloq(評価額10億ドル)(本社:フライエンバッハ):
    銀行の顧客向け統合サービスを提供。
  • ロイバント・サイエンシズ(Roivant Sciences)(評価額70億ドル)(本社:バーゼル) :
    米国の医療スタートアップとも言うべき企業であるが、現在バーゼルに本拠地を移して活動している。同社には2017年8月にソフトバンクがファンドを通じて10億ドル以上を投資し、CBインサイツによると、現在の評価額は70億ドルに達している。

そのほか、医療分野では、抗がん剤のスタートアップとして2012年にローザンヌで設立されたADC Therapeuticsが、これまでに4億5,500万ドルの資金を集めるなど精力的に活躍している。同社は英国ロンドンや、米国のニュージャージー州、サンフランシスコ州に支部をもつ。

ベルギー・ブリュッセルとブルガリア・ソフィアに拠点を置くアクセラレーターのテックツアーが2019年2月に発表した「テックツアー・グロース 50外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」にはスイスから以下の9社がエントリーした。これは国別ではドイツに次いで2位、2018年の4社(エバ、ビーカム、ソフィア・ジェネティクス、ゲットユアガイド)から倍増となっており、近年のスイスのスタートアップの裾野拡大を示すものといえる。テックツアー・グロース50の選考基準は、年間50%の成長が期待できること、市場評価額が10億ドル相当であるということであり、テックツアーによれば、同50社に選ばれることは次のユニコーン候補として期待される。

  • アクロニス(Acronis、2003年設立、本社:シャフハウゼン):
    AIやブロックチェーン技術を活用し、ランサムウェアなどのサイバー攻撃に対する動的なバックアップなどのセキュリティサービスを提供する。
  • エバ(Ava、2014年設立、本社:チューリッヒ): センサー内蔵のブレスレットから得られるバイタルデータ(生体情報)に基づき妊娠活動支援を行う。
  • ビーカム(Beqom、本社:ニヨン):
    2009年にSAPからスピンオフした企業。給与管理アプリケーションを提供する。
  • クロネクスト(Chronext、本社:ツーク):
    ラグジャリーウォチのオンライン中古取引プラットフォームを提供する。
  • クープル(Coople、2009年設立、本社:ロンドンおよびチューリッヒ):
    31万人以上が登録するオンライン人材マッチングサービスを提供。
  • フライアビリティ(Flyability、2014年設立、本社:ボー):
    工場設備の監視などの用途のためカーボンプロテクションの施されたドローンを提供する。
  • ネットシンク(Netthink 2004年設立、本社:ローザンヌ):
    EPFLのAIリサーチプロジェクトからのスピンオフであり、スマートフォンおよびワークステーションに取り付けたセンサーの分析によりサイバーセキュリティおよびパフォーマンス管理を行う。
  • スキャンディット(Scandit、本社:チューリッヒ):
    米国マサチューセッツ工科大学(MIT)、ETH、IBMの共同プロジェクトから2009年に設立されたデジタル画像解析サービスを提供する企業。チューリッヒ、米国ボストン、英国ロンドン、米国サンフランシスコなど多数の拠点をもつ。カメラ、QRコード、スマートフォンなどから得られたデジタル画像をAIで解析し物流、ヘルスケアなどへのソリューションを提供する。
  • ソフィア・ジェネティクス(SOPHiA Genetics、本社:サン=シュルピス):
    EPFLイノベーションパークからのスピンオフ企業。日米、オーストラリアなどの市場に対して遺伝子疾患や腫瘍の診断支援サービスを提供している。
執筆者紹介
ジェトロ・ジュネーブ事務所長
和田 恭(わだ たかし)
1993年通商産業省(現経済産業省)入省、情報プロジェクト室、製品安全課長などを経て、2018年6月より現職。