ザンペルラ、遊具で世界の子どもたちに笑顔を届ける−欧州中堅・中小企業の国際化戦略を探る−

(北朝鮮、イタリア)

欧州ロシアCIS課・ミラノ事務所

2012年12月12日

イタリアを代表する観光地ベネチアから北西へ電車で1時間ほどにある地方都市ビチェンツァ。世界中の子どもたちの笑顔がここから生み出されている。ディズニーランドをはじめ、各国のアミューズメントパーク用乗り物で高い世界シェアを誇るアントニオ・ザンペルラのファッチン副社長(販売担当)に聞いた(11月21日)。

<世界中どこにでも駆け付ける旅人たち>
出迎えてくれたアントニオ・ザンペルラのファッチン氏は、年間4ヵ月を国外で過ごす国際派の人物だ。「異文化に関心がある。とにかく何でも自分で出向き、見聞し、試してみたい性分だ」と述べた。

同社の原点は「旅人」だ。創業者の曽祖父に当たる人は、移動式映画館の運営を仕事としていた。昔、イタリアでは映画館は常設ではなく、サーカス団のようにあちこち移動するスタイルだった。ところが、時代の流れとともに映画館が常設化するようになると、一族はカーニバル事業にも乗り出し、カーニバル運営業者として移動式遊園地も取り扱った。そして1960年代、他のカーニバル運営業者からも移動式遊園地の乗り物をつくってくれないかというオファーを受けたことがきっかけで、遊園地用乗り物の製造に乗り出す。

1966年に、創業者アルベルト・ザンペルラがビチェンツァに同社を設立。同地に根を張って40年以上経つ今、90ヵ国・地域に顧客を持ち、売上高の99%を輸出が占める国際企業となった。国外では米国、ロシア、中国、スロバキア、フィリピンに自社拠点を有し、このうちスロバキア、中国とフィリピンは生産拠点だ。本社の5人のセールスマネジャーは、西欧、中・東欧、ロシア、南米、中東、極東をそれぞれ担当し、プロジェクトの話を耳にすると世界中どこにでも駆け付ける。同社の原点である旅人のDNAは、セールスマネジャーに脈々と受け継がれている。

<世界シェア20〜25%を誇る>
乗り物を生産するのとは別に、アミューズメントパークを運営する子会社もある。グループ全体の従業員は約450人。主要な人員配置はイタリア本社に約170人、フィリピンに約100人、中国に約70人、北米に約30人だ。

同社の製品は大きく4つに分類される。ジェットコースターなどの「スリルライド」、家族向けの「ファミリーライド」、子ども向けの「キディーライド」、主に室内用の子ども向け小型「スモールキディーライド」だ。その中でも特に、ファミリーライドに同社は強みを持っている。イタリア人ならではの独創的かつ斬新なデザインには定評がある。世界シェア20〜25%を有している。イタリア国内には同業の中小企業があり、またドイツ、スイス、オランダ、ロシア、中国にも競合企業がいる。ただ中国企業については、低価格帯が中心で、市場はあまりバッティングしないという。

<ディズニーに鍛えられた>
創業時はイタリア国内だけのビジネスだったが、間もなくしてフランスの代理店を通じてフランス、ドイツに輸出するようになる。その後、1970年代中ごろには米国に進出した。米国にはアミューズメントパークが数多くあり、イタリア製の品質、創造性、デザイン性が高い評価を受け、大きな成功を収めた。

国外ビジネスでの大きな転機が訪れたのは1980年代後半だった。ウォルト・ディズニーからユーロディズニーランド(パリ)を手掛けないかという申し出が来たのだ。ザンペルラは既に約20年の実績があったものの、同社の高い要求に応えるのは至難の業だった。ファッチン氏は当時を振り返る。「ディズニーは当社に2人を2年間派遣してきた。彼らの日常のチェックおよび要求に応えるのは並大抵のことではなかった。ただ、そのお陰で製造工程、品質、安全管理に対する考え方など、根本的なところを徹底的に改善できた」。最終的に、ユーロディズニーランドに7つの乗り物を提供し、その実績が業界内で高い評価を得ることになった。その後、ロサンゼルス、上海(2015年完成予定)にも納品し、今やディズニーがザンペルラを他社に推薦するほどの信頼関係を築いている。

ディズニーのほかにレゴ、パラマウント・ピクチャーズ、ワーナー・ブラザーズ・エンターテインメントなどの大手企業も顧客にしている。大手企業との取引にはメリットが多いという。ローカルなアミューズメントパークとのビジネスでは価格交渉から話が始まる一方で、大手企業は価格よりもコンセプトやデザイン、そして安全性を優先することが多い。大手企業の手掛けるアミューズメントパークはかなりのニッチマーケットで、そのニッチ分野に強みを持つ同社は価格競争に巻き込まれることは少ない。なお、乗り物の種類によるが、大手企業向けの乗り物は1セット300万ユーロするものもあるそうだ。

ザンペルラの主力製品「AIR RACE」(同社提供)

<携帯電話は24時間365日オン>
日本では、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(大阪市)やナガシマスパーランド(三重県)などが主要な納入先だ。「日本のビジネスには独特な部分がある」とファッチン氏は指摘する。同氏は、言語の壁があることのほか、アミューズメントパーク運営者が納入・設置・調整まで全てメーカーにやってほしい(同氏いわく「運転スイッチを回す寸前まで」)とリクエストしてくるため、日本の商社などに調整役を依頼している。

最近では、北朝鮮にも納入した。これには興味深いエピソードがある。2007年のある日、在イタリア北朝鮮大使館から1通のEメールがファッチン氏の元に届いた。内容は同国のアミューズメントパークの刷新についてだった。これを受けたファッチン氏はすぐさま(「5分以内」と同氏)カタログ一式を郵送した。2ヵ月後、同氏は北朝鮮で30人を超える関係者に囲まれていた。商談は無事終了し、北朝鮮が同社の実績に加わることとなった。北朝鮮の担当者は、同社を選んだ理由をこう述べた。「ザンペルラが最初に返信をくれたから」。ファッチン氏は「競争を勝ち残るにはスピードが大切だ」とする。そのため、同氏の携帯電話は24時間365日切られることはない。世界中で起こる不具合や問い合わせにスピーディーに対応するためだ。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの「TEA CUP RIDE」(同社提供)

<アジアの顧客のそばで生産>
同社は、1980年代からアジア市場に注力している。アジアの発展に伴い、顧客の近くで生産、販売、アフターサービスを行う必要が出てきたため、1995年にはフィリピンに工場を設立した。アジアは気候が暑いため、ショッピングモールなどの室内に遊具を設置することが多い。フィリピン工場では、室内向けの小型遊具のスモールキディーライドを生産する。中小企業で巨額な投資ができないため、小さなラインで済むスモールキディーライドはかえって好都合だ。

中国工場は2006年に設立し、ファミリーライドを生産する。設立前、中国では同社の製品をコピーした品質の悪いものが出回り始めており、中国内のマーケットシェアが落ち始めていた。そこで自ら中国で生産することを決意した。この中国進出は、中国外市場向け製品の生産コスト削減を意図したものではない。実際、中国で生産された製品の90%は輸出することなく、中国国内で使われている。

<世界が市場、不景気も乗り切る>
2012年は5,500万ユーロの売上高を見込む。うち、3,000万ユーロがアジアからで、中国とインドネシアがアジアの稼ぎ頭だ。毎年5,000万ユーロ前後の売上高を達成しており、2009年のリーマン・ショックや、最近の欧州債務危機下にあっても、売上高の落ち込みは経験していない。ファッチン氏はその理由を、「本社のあるイタリア以外がわれわれの市場だからだ。手掛ける市場の景気が悪くなれば、状況が良い他を探せばよい。世界全体がわれわれの市場であり、どこにでもビジネスチャンスは必ずある」とする。ただ、欧州の景気低迷により、イタリア内の部品サプライヤーの倒産が懸念されるという。

同社は一部のラインをフィリピンと中国で生産するものの、スリルライドなど大型のラインはイタリア産にこだわっている。これは研究開発やデザインがイタリアで行われていることもあるが、大型の乗り物になると品質や安全性がさらに重要になるためだ。品質を保証するためにイタリア産にこだわるのだ。「自社のことなら自分たちでコントロールできるが、部品サプライヤーまでは難しい。良質の部品が提供されないとビジネスが成り立たない」と同氏は心配する。そのリスクを少しでも減らすために、スロバキアに部品工場をつくった。また、成長するベラルーシ向けのスモールキディーライドの生産拠点もつくり、新興市場の取り込みにも余念がない。

最後に、グローバルビジネスで成功するポイントを3つ挙げた。

(1)常に顧客の元を訪れ「顔を見せること」
(2)デザイン性、安全性を兼ね備えた高品質の製品をつくること
(3)顧客をつなぎ止めるため(多くの競合相手は製品を売りっぱなしにしている)、アフターセールスをしっかり行うこと

ザンペルラの社名は、世界の子どもたちにほとんど知られていない。しかし、子どもたちの笑顔の裏にはイタリアの地方中小企業の活躍があるのだ。

(植原行洋、三宅悠有)

(イタリア・北朝鮮)

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