注目高まるバングラデシュIT産業
オフショア開発、現地人材への日本語教育の先駆的企業に聞く

2023年7月18日

バングラデシュのソフトウエアおよび情報技術対応サービス(ITES)の輸出額は2014年から大幅に増加し、2019年までの5年間で3倍以上(14億ドル程度)に拡大した。同国のソフトウエア・情報サービス協会(BASIS)によると、日本への同輸出額は2016/2017年度(2016年7月~2017年6月)には5,600万ドル程度だったところ、2021/2022年度には1億2,000万ドル(前年度比35%増)に倍増した。その要因の1つに、両国政府・企業間のIT分野における連携強化が挙げられる(2023年6月16日付ビジネス短信参照)。同国において日本企業向けのオフショア開発や、高度IT人材育成の取り組みの先駆けである、当地IT大手BJITの明石康弘取締役副社長COOに、現状の課題や今後の発展の可能性について聞いた(取材日:2023年6月15日)。


BJITの明石康弘取締役副社長COO(同社提供)
質問:
貴社の概要は。
答え:
当社は2001年にバングラデシュ、2004年に日本に拠点を設立し、主としてバングラデシュにおいて、日本企業向けを中心にソフトウエアのオフショア開発事業を行っている。在バングラデシュのIT技術者を中心に、グループ全体で800名のスタッフを擁しており、北米、フィンランド、シンガポールにも営業拠点を置く。今年4月には戦略的パートナーとして新たに、丸紅との資本業務提携を発表したところだ(BJIT発表資料参照PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(534KB))。今後は、日本を含む世界での事業展開を加速させたい。具体的にはタイ、インドネシア、マレーシア、シンガポールをはじめとするASEAN、またサンノゼを軸に米国全土、さらには英国、ドイツなど欧州におけるシステム開発の受注拡大を目指している。
BJITグループ全体として、バングラデシュや日本を含む世界での売り上げ目標を対前年比130~150%と定めている中、近年は毎年目標を達成している。直近の売り上げ約20億円のうち、およそ半分は日本市場向けの開発が占め、残りは欧州、北米およびASEANとなっている。グループ全体の売り上げに占める、欧州、北米ASEAN市場向けの比率を70%にしていくのが目標だ。
質問:
日本市場のニーズに変化は。
答え:
これまで当社はシステムベンダー(SIer)向けの開発事業が多かったが、エンドユーザー(非IT企業)の顧客が増えてきている。これは、日本の大手機械メーカーや自動車メーカーの中で、日本国内の人的資源を確保するために、従来のベトナムやフィリピンに加え、バングラデシュにて現地の開発会社と連携し、アウトソーシングしてシステム開発するケースだ。さらに消費財・流通系大手の企業においても日本国内のリソースが足りず、他国でオフショア開発を進めており、バングラデシュでの開発ニーズが徐々に高まりつつある。当社ではこういったニーズにも応えていきたい。
他方、非IT系を含む日本の大手企業が「アジア最後のフロンティア」として当地に視察に訪れ、投資・進出を検討するケースもここ数年多くみられる。大手企業に限って言えば、IT人材採用の要件として日本語能力よりも技術力を重視する傾向がみられる。
質問:
バングラデシュのIT人材の強みは。
答え:
英語が堪能でITの技術力も高く、人件費はインドや東南アジアと比べ相対的に低い。「品質と供給力」が高まりつつある点も強み。ソフトウエアの海外アウトソーシングの主戦場は中国やインドから、ベトナム・フィリピンに移りつつあったところ、近年は需給のギャップなどの理由から、ベトナムにおけるIT人材の確保が難しくなってきている。ミャンマーも注目されていたが、国内情勢の変化の影響はIT産業においても大きく、こうした対外的な要因からも、バングラデシュのIT産業や人材への注目は相対的に高まっていると言えるだろう。
質問:
同国のIT人材活用における課題は。
答え:
日本語対応可能なIT人材の需要は、日本の中小企業を中心に依然として根強く、必要な人材をいかに増やすかが課題。当社では2017年から実施に携わってきたJICA(国際協力機構)の「B—JET」事業(注)を、両国の大学とともに事業承継することで、優秀なITエンジニアへの日本語教育の取り組みを継続している。一方、ダッカ大やバングラデシュ工科大(BUET)のトップ層の学生は、言語(日本語)のハードルからそもそも日本に目を向けていないケースも多い。実際、米国IT大手のグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム(GAFA)に就職する者もみられ、そういった人材を日本企業が獲得することは容易でない。
質問:
貴社の課題や関連の取り組みは。
答え:
特に新型コロナ禍以降、日本・バングラデシュを含め世界で人材の流動化が激しくなってきている。バングラデシュは経済成長に伴い賃金上昇率が年々上がっており(2023年3月31日付地域・分析レポート参照)、特にキャリア採用の場合の賃金は上昇傾向にある。
また、「サード・ジェネレーション」と呼ばれるバングラデシュの若年層は、ビジネスライクに物事を捉え、転職への心理的ハードルが少ない者が多い印象を持っている。こうした中で、特に若手エンジニアの組織への忠誠心やマインドセットを高めていくことも重要な課題だ。
当社では2012年から、ITエンジニア育成のための養成所「BJITアカデミー」をダッカに設立し、日本企業への就業支援を行ってきた。近年は若い人材を採用・源流から育成し、一定程度定着してもらうことにも注力すべく、新卒採用にも積極的に取り組んでいる。「ジャパン・クオリティー」による開発の強みを生かしつつ、引き続き当社が雇用するだけでなく、日本企業への就業支援にも力を入れていきたい。例えば、当地の大学在学中の学生を参加対象に、プログラミングやITサービス開発能力を競うコンテストである「ハッカソン」の開催(2022年11月28日付2023年1月6日付ビジネス短信参照)、同イベントへの日本企業の視察アレンジ、インターンシップを活用し、非IT系を含む日本企業との連携を強化している。
また、2019年には開発力強化を図り、当社とダッカ大学、北海道大学、人工知能(AI)開発など実績を有する調和技研(本社:北海道 札幌市)で、開発技術に係る4者での共同研究の基本合意書(MoU)を締結した。その後、コロナ禍の影響でやむを得ず活動は止まっていたが、こちらの取り組みも再開したところだ。
質問:
バングラデシュのIT産業の課題と、今後の可能性は。
答え:
現在は小規模なIT企業が大多数を占め、ITエンジニアを1,000人以上擁する大企業が育っていない。そのため国全体としては、1案件に20人程度のエンジニアが従事する規模の案件受注が大半の状況で、日本を含む海外大手企業からの開発案件を受注するには、受け皿として不十分な側面がある。エンジニアの数が500人を超えると、1案件につき50人程度のチームを組成でき、比較的大型の開発案件を進めることができるが、当地ではその規模のIT企業は数える程度しかない。他方、IT産業の発展に伴い、プロジェクトの受注規模の拡大も一部にみられ、規模が大きくなれば開発が長期化し、取引先・売り上げの規模も大きくなる。5年後には、1万人規模のIT企業が生まれても不思議ではない。
また、IT産業に限ったものではないが、外国からの直接投資のハードルが依然として高い。例えばバングラデシュで事業を行い、生み出した利益をバングラデシュから海外に直接投資することは、当国の海外送金規制もあり、容易ではないと認識している。また、国内の証券市場が未成熟であることも課題だ。
さらに、両国間の直行便就航の実現も非常に重要だと考えている。現在、ダッカ空港・第3ターミナルの建設事業も進められており、両国間のアクセスや空港の環境が改善し、ビジネス関係者を含め人の往来がこれまでよりも活発化することで、日本人にとっての同国のイメージが、プラス方向に変わっていくことが期待される。アクセスの良さは、両国間のビジネス促進にも大きく関わることで、この観点で東南アジアと比べて劣後している面がある。あくまで理想ではあるが、日本から旅行者も自由に訪れることができるような環境でなければ、日本企業の経営層が足を運ぶのは容易ではないだろう。
当社は年間で40~50社程度の日本企業をバングラデシュに招いており、開発の様子などを視察いただいているが、現場をみた方の多くは、当地でのシステム開発に前向きな印象を持っている。今後は当社の競合となるような、自社でシステム開発拠点をバングラデシュに設置する動きも活発になるだろう。日本企業による当地への進出本格化の「元年」が、近い将来訪れる可能性はある。

注:
B-JET(Bangladesh-Japan ICT Engineers’Training Program)は、国際協力機構(JICA)がバングラデシュのIT人材を対象に2017年11月から開始した、日本での就職をターゲットとしたトレーニングプログラム。 JICA事業としての実施期間である2020年10月までに計280人が参加者として選抜され、このうち186人が日本企業に就職した。2021年7月、同事業は民間事業体制に移行し、「新B-JET」として事業継続されている。
執筆者紹介
ジェトロ・ダッカ事務所
山田 和則(やまだ かずのり)
2011年、ジェトロ入構。総務部広報課(2011~14年)、ジェトロ岐阜(2014~16年)、サービス産業部サービス産業課(2016~19年)、お客様サポート部海外展開支援課を経て、2019年9月から現職。