韓国企業の米国進出が加速
インフレ削減法で一変した韓国電池産業(1)

2023年9月25日

2022年8月に成立した米国のインフレ削減法(IRA)は、韓国の自動車・車載電池産業に大きな影響を与えている。韓国の自動車メーカーは電気自動車(EV)の北米生産を迫られている。他方、韓国の車載電池メーカーは急拡大する北米市場の取り込みに積極的だ。さらに、自動車メーカーも、車載電池メーカーもサプライチェーンの見直しに向けて動いている。特に、電池原料の「脱中国依存」が課題だ。

本稿では、米国インフレ削減法が韓国産業界に及ぼす影響と韓国企業の対応などについて、3回に分けて紹介する。1回目は、インフレ削減法成立を受けた韓国の自動車・車載電池メーカーの北米生産に向けた取り組みについて紹介する。(2回目は、2023年3月末に米国政府が発表した車載電池関連の税額控除規則案に対する韓国側の受け止め方と韓国電池材料企業の北米進出状況について紹介する。「電池材料企業は米韓生産拡大」参照。3回目は、電池原料の「脱中国依存」の取り組みと中国企業の韓国での生産拠点構築の動きについて紹介する。「原料の脱中国依存を模索」参照。)

インフレ削減法成立が韓国自動車・車載電池業界に大きな影響

2022年8月に成立した米国のインフレ削減法は、韓国の自動車・車載電池産業に大きな影響を与えている。特に、車載電池産業については、インフレ削減法を契機に米国での生産能力を一気に拡大するなど、急拡大する米国市場を積極的に取り込もうとしている。

インフレ削減法の内容は多岐にわたるが、このうち、EV関連では、「2009年米国再生・再投資法」と同様、消費者が車両を購入するにあたり、1台当たり最大で7,500ドルの税額控除が受けられることが盛り込まれている。ただし、税額控除の対象車両になるためには、表1の条件を満たす必要がある(2022年11月24日付地域・分析レポート参照)。

表1:EV購入者の税額控除が可能な対象車両(注1)の主要要件(注2)
要件 内容
組み立て要件
  • 車両の最終組み立ては北米(米国、カナダ、メキシコ)でなければならない。
重要鉱物要件
  • 車載電池製造で使用される重要鉱物の40%(2023年の場合。比率は毎年10ポイントずつ引き上げられ、2027年以降は80%)以上が米国または米国のFTA締結国で抽出・処理、あるいは北米でリサイクルされた場合に、3,750ドルの税額控除を受けられる。
  • 「懸念される外国の事業体」(注3)が関与した重要鉱物が含まれる場合、2025年から税額控除を受けられない。
電池部品要件
  • 車載電池製造で使用される部品の50%(2023年の場合。比率は毎年10ポイントずつ引き上げられ、2029年以降は100%)以上が北米で製造・組み立てられた場合に、3,750ドルの税額控除を受けられる。
  • 「懸念される外国の事業体」(注3)が関与した部品が含まれる場合、2024年から税額控除を受けられない。

注1:対象はBEV(バッテリー式電気自動車)、PHEV(プラグインハイブリッド車)、FCV(燃料電池車)。
注2:その他の要件として、購入者の所得条件、小売価格の上限などがある。
注3:「懸念される外国の事業体」とは、中国・ロシア・イラン・北朝鮮政府の「所有、管理、管轄権または指示の対象となる事業体」を指す。
出所:各種資料を基に作成

インフレ削減法成立の当面の影響について、韓国では、完成車メーカーにとってマイナスの影響が、車載電池メーカーにとってはメリットがそれぞれ大きい、という見方が一般的だった。ちなみに、政府系シンクタンク産業研究院(KIET)のホァン・ギョンイン副研究委員は「米国インフレーション削減法の国内産業への影響と示唆点‐自動車と二次電池産業を中心に‐」レポート(2022年9月)で、次のように結論付けている。

  • 韓国の自動車メーカーは韓国産EVを米国市場で販売しており、「最終組み立て要件」を満たさない。そのため、要件を満たす競合他社に対して競争上、劣位に置かれる。中長期的には、車載電池関連の規定強化の影響を見極める必要がある。車載電池関連の規定は、米国メーカーですら要件の充足は必ずしも容易ではない。
  • 韓国の車載電池メーカーは、北米地域における生産基盤拡大の勢いが、規模・速度の両面で日本や中国などの競争国よりも確実に優位にあり、GM(ゼネラルモーターズ)、フォード、ステランティスといった米国完成車メーカーと緊密な関係を構築している。よって、韓国車載電池メーカーにとって、インフレ削減法は好材料だ。ただし、リチウム、黒鉛などの重要鉱物の生産・精製が主に中国で行われており、完成車メーカーが要求するインフレ削減法の「重要鉱物要件」を満たすのは容易ではないものと予想される。

韓国では、韓国製EVが税額控除の対象とならず、米国市場で差別的な扱いを受ける恐れがある点に懸念が広がった。韓国政府も米国政府に対する働きかけを強めた。ちなみに、法案成立から1カ月が経過した2022年9月後半の動きだけをみても、次のようなに働きかけを積極的に行っている。

  • 9月19~21日、尹大統領はロンドンとニューヨークでバイデン大統領と3回にわたって接触、インフレ削減法に対する懸念を伝達した。
  • 9月21日、韓国・産業通商資源部の李昌洋(イ・チャンヤン)長官がワシントンでレモンド商務長官と会談した。李長官は「インフレ削減法は、米国が推進するサプライチェーン協力の基調と合致せず、今後の多様な米韓協力関係にも否定的な影響を及ぼすおそれがある。早急に解決してほしい」と要請した。
  • 9月29日、尹大統領は訪韓中のハリス米副大統領と面談した。インフレ削減法を巡る憂慮を伝達し、「両国が米韓FTA(自由貿易協定)の精神を基に、お互いに満足できる合意が導き出せるように緊密に協力していくことを期待する」と述べた。

現代自動車グループは米国でのEV生産を急ぐ

インフレ削減法成立を受け、現代自動車グループは、米国でのEV専用工場建設を速めることとした。合わせて、韓国政府とともに、工場完成までインフレ削減法の適用を猶予することや、リース車両を「最終組み立て要件」や「車載電池に関する要件」の充足が不要な商用車に分類することなどを米国側に要請した。インフレ削減法の適用猶予は認められていないものの、リース車両については2022年12月末に米国・財務省が発表した商用車運用ガイダンスにより、韓国側の要望どおり、商用車に分類することとなった。

EV専用工場建設に関連し、同グループは2022年10月25日に工場の起工式を開催した。その際の発表によると、EV専用工場はジョージア州ブライアン郡に位置し、生産能力は年産30万台の予定となっている。生産するのは、現代自動車(同社の高級ブランド「ジェネシス」を含む)、グループ傘下の起亜のEVで、2025年上半期に量産を開始するとした(韓国メディアは、その後、量産開始予定時期を2024年下半期に前倒し、生産能力拡張も検討していると報じている)。こうした取り組みにより、例えば、グループ中核の現代自動車の場合、2030年の米国市場でのEV販売台数を66万台(米国市場での販売台数総数に占めるEVの割合は53%)とする将来目標を2023年6月20日に発表している(2023年8月7日付地域・分析レポート参照)。

また、同グループは、SKオン(2022年11月29日)、LGエナジーソリューション(2023年5月26日)とそれぞれ合弁で、現地に車載電池生産拠点を設けることを発表した(カッコ内は車載電池メーカー側のプレスリリース日を示す)。これらは、EVの米国生産を念頭に米国でのサプライチェーン構築を目指す動きの一環だ。

現在、同グループは、商用車扱いとなったリース車両としてのEV販売に注力している。韓国メディアの報道によると、従来、2~3%だったEVのリース販売の比率を3割程度に引き上げる目標を掲げた。さらに、EVを含め、米国市場で販売するモデル構成を見直し、SUV(スポーツ用多目的車)など、付加価値の高いモデルの構成比を高める方針とした。

ところで、リース車両を除くと、韓国製EVは税額控除の対象外となったわけだが、そのことは、米国市場における韓国製EVの販売にどのような影響を及ぼしているのであろうか。インフレ削減法が成立して1年間が経過したが、韓国では、インフレ削減法の影響は当初の予想ほど大きなものではなかったとの見方が一般的だ。「聯合ニュース」(2023年8月16日)は、「現代自動車・起亜の米国でのEV販売は、インフレ削減法以降も比較的良好だ。今年上半期(1月~6月)の両社の米国市場でのEV販売台数は前年同期比11.4%増の3万8,457台で、半年間の販売台数としては過去最多を記録した。販売シェアもテスラに次ぐ2位だ」と報じた。「韓国経済新聞」(2023年8月2日、電子版)も「(米国市場における現代自動車・起亜のEV販売は)インフレ削減法の税額控除の対象から外れたため苦戦するとみられていたが、予想を覆し、販売が目に見えて増えている」と報じた。これは、現代自動車などの思惑どおり、リース販売比率を高めたことが販売増につながったためのようだ。ただし、EV販売台数は増加したものの、米国EV市場でのシェアやEVの収益性が低下しているとの指摘があるなど、インフレ削減法の影響を免れていないようだ。

韓国車載電池メーカーが一斉に北米での生産拡大へ

インフレ削減法成立により、米国でのEV生産規模が飛躍的に拡大する見通しになったことは、韓国車載電池メーカーにとって、大きなビジネスチャンスになっている。韓国では、最大のライバルの中国の車載電池メーカーの米国現地生産推進には制約も予想されるため、米国の車載電池生産増加分のかなりの割合を韓国企業が取り込めるとみているようだ。そこで、韓国車載電池メーカー各社は一斉に、米国を中心とした北米での生産拡大に積極的に取り組み始めた。

韓国の車載電池3社の北米生産拠点構築の動きは表2のとおり。韓国車載電池メーカー・トップのLGエナジーソリューションが北米での生産拡大に最も積極的だ。2022年1月以降だけでも、次のように工場建設計画を矢継ぎ早に発表している(カッコ内は同社のプレスリリース日を示す。以下同様)。

  • GMとの合弁会社のアルティウムセルズが米国ミシガン州に第3工場を建設(2022年1月26日)
  • 米国アリゾナ州クイーンクリークに単独資本で円筒型電池工場を建設(同年3月24日)
  • カナダ・オンタリオ州でステランティスと合弁で車載電池工場を建設(同年同日)
  • ホンダと合弁会社設立契約を締結し、米国に車載電池工場を建設(同年8月29日)
  • 米国アリゾナ州に円筒型電池工場を建設 (2023年3月24日)
  • 現代自動車グループと米国ジョージア州に車載電池合弁会社を設立する契約を締結(同年5月26日)

その結果、同社は現在、北米で8カ所(うち、米国で7カ所)もの工場を運営、または建設中だ。

表2:韓国車載電池企業の北米生産拠点一覧(計画を含む)(-は値なし)
企業名 国名 地域名 生産能力 備考
LGエナジーソリューション カナダ オンタリオ州ウィンザー 45GWh(ギガワット時)、段階的に増強(2024年稼働予定) ステランティスとの合弁
米国 ミシガン州ホランド 26GWh(稼働中)
アリゾナ州クイーンクリーク 43GWh(車載用円筒型 27GWh、ESS用パウチ型LFP 16GWh)(2025年稼働予定)
オハイオ州ローズタウン 40GWh(稼働中) GMとの合弁(第1工場)
テネシー州スプリングヒル 50GWh(2023年稼働予定) GMとの合弁(第2工場)
ミシガン州ランシング 50GWh(2025年稼働予定) GMとの合弁(第3工場)
オハイオ州ジェファーソンタウンシップ 40GWh(2025年稼働予定) ホンダとの合弁
ジョージア州サバンナ 30GWh(2025年稼働予定) 現代自動車グループとの合弁
SKオン 米国 ケンタッキー州グレンデール 86GWh(2025年稼働予定) フォードとの合弁(工場2カ所)
テネシー州スタントン 43GWh(2025年稼働予定) フォードとの合弁
ジョージア州コマース 21.5GWh(第1工場9.8GWh、稼働中。第2工場11.7GWh、2023年稼働予定)
ジョージア州バートウ 35GWh(2025年稼働予定) 現代自動車グループとの合弁
サムスンSDI 米国 インディアナ州コーコモー 33GWh(2025年稼働予定) ステランティスとの合弁(第1工場)
(未定) 34GWh(2027年稼働予定) ステランティスとの合弁(第2工場)
インディアナ州ニューカーライル 30GWh~(2026年稼働予定) GMとの合弁

出所:各社プレスリリース、各種韓国メディアなどを基に作成

次いで、SKオンは、フォードとの米国車載電池合弁会社が正式に発足(2022年7月14日)、現代自動車グループと北米での車載電池供給協力のためのMOU(了解覚書)を締結(同年11月29日)といったかたちで、米国での車載電池生産拡大を図っている。特に、フォードとの協力関係が米国生産拡大の軸になっている。

さらに、韓国車載電池3社の中で現地生産に最も慎重だったサムスンSDIも、ステランティスと米国インディアナ州に車載電池合弁企業を設立する契約を締結(2022年5月25日)、GMと米国で車載電池合弁企業を設立する構想を推進することで合意(2023年4月25日)、ステランティスと米国車載電池第2工場建設でMOUを締結(同年7月24日)と、ここへきて米国生産構想を立て続けに発表している。

以上でみたように、韓国車載電池メーカーの北米生産拠点構築は、完成車メーカーとの合弁形態が多い。韓国車載電池メーカーの立場からみると、合弁により(1)自社にとっての巨額な投資負担を軽減できる、(2)製品の安定的な販売先を確保できる、といったメリットが大きいからだ。

ところで、筆者らが2023年7月上旬に韓国の車載電池専門家に聞いたところ、「韓国の車載電池メーカーは、インフレ削減法成立以前から米国生産拡大に向けて準備を始めていた。トランプ前政権時に米中貿易摩擦が顕在化し、米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)で原産地規則が厳しくなったことを受けたものだ。その上で、インフレ削減法が米国生産の動きを加速化させた」とのことだった。

なお、韓国車載電池メーカーが北米拠点で生産した製品の販売先は、世界の主要自動車メーカー全般に広がっており、同じ韓国企業である現代自動車グループのウェートが低い点には留意が必要だ。

インフレ削減法が韓国車載電池メーカーの営業利益を底上げ

前述のEV購入者が受けられる税額控除については、車載電池企業がそのメリットを直接享受するものではなく、EV市場拡大による車載電池需要の拡大というかたちで間接的にメリットを享受することとなる。

その一方で、インフレ削減法が車載電池企業の米国事業にもたらす直接的なメリットも大きい。同法では、米国で生産した車載電池セル・モジュールを販売するごとに一定の税額[現在、バッテリーセルは1kWh(キロワット時)当たり35ドル、バッテリーモジュールは同10ドル]を控除できることが「先端製造生産比例税額控除」として規定されている。韓国車載電池企業の米国生産拠点も、この税額控除のメリットを享受できる。

それでは、その金額はどの程度であろうか。LGエナジーソリューションの連結損益計算書をみると、その額は、売上高、売上原価、売上総利益に続く科目の「その他営業収益」として計上されている(以下、販売費および一般管理費、営業利益の順で科目が続く)。具体的には、2023年1~3月期の四半期報告書では、税額控除1,002億9,400万ウォン(約110億3,234億円、1ウォン=約0.11円)、営業利益6,331億6,600万ウォンと記載されている。さらに、同社の同年4~6月期の実績説明会資料には、営業利益4,606億ウォン、税額控除1,109億ウォン、税額控除を反映しない場合の営業利益3,497億ウォンと記載されている。このように、先端製造生産比例税額控除分が同社の営業利益をそのまま底上げする効果をもたらしていることが確認できる。

SKオンも、状況は似ている。同社は2023年上半期(1~6月)連結決算に、「その他営業収益」として1,670億ウォンを計上しているが、その全額が先端製造生産比例税額控除によるものだ。同社の同期の営業収支は4,771億ウォンの赤字だったが、税額控除のメリットを享受した結果、営業赤字はかなり圧縮されたことになる。ちなみに、「ヘラルド経済」(2023年8月4日、電子版)は、「業界では、SKオンの2023年下半期(7~12月)の税額控除額は少なくとも4,000億ウォンとみている」「税額控除を受け、第3四半期(7~9月)の営業利益は黒字に転換するものと期待される」と報じている。なお、韓国の3大車載電池メーカーのうち、サムスンSDIは、現時点では米国で車載電池を生産していないため、先端製造生産比例税額控除のメリットを享受していない。

先端製造生産比例税額控除のメリットは今後も続く。その金額について「ソウル経済新聞」(2023年4月11日、電子版)は、2023~2032年の累計でLGエナジーソリューションが94兆ウォン、SKオンが45兆ウォン、サムスンSDIが40兆ウォンとする、韓国のある証券会社の試算を紹介している。

ただし、懸念材料もある。税額控除は車載電池メーカーが対象ではあるものの、完成車メーカーから「利益還元」の圧力がかかるとの見方もあることだ。「ヘラルド経済」(2023年7月31日、電子版)は、「最近になって、完成車メーカーが先端製造生産比例税額控除で得たメリットの一部を共有するよう要求している」「業界では、韓国の車載電池メーカーも長期的には先端製造生産比例税額控除のメリットの一部を電池価格引き下げなどの方法を通じ、共有するとみている」「メリットの共有が本格化すれば、車載電池メーカーの経営実績にも一部、悪影響が及ぶ見通し」と報じている。

執筆者紹介
ジェトロ調査部中国北アジア課
百本 和弘(もももと かずひろ)
ジェトロ・ソウル事務所次長、海外調査部主査などを経て、2023年3月末に定年退職、4月から非常勤嘱託員として、韓国経済・通商政策・企業動向などをウォッチ。