特集:各国が描く水素サプライチェーンの未来水素製造における高い潜在性を秘めるインド

2023年6月9日

インドにおける総発電容量の6割弱は、石炭火力を中心とする化石燃料発電によって占められる。他方、科学的観点からは、インドは再生可能エネルギーの潜在性が高い。インド中央電力庁(CEA)のレポート(12.3MB)によると、太陽光発電の入札価格は1kWh(キロワット時)当たり1.99ルピー(約3円、1ルピー=約1.6円)で、風力発電の入札価格は同3ルピーといった低水準に到達している。国際エネルギー機関(IEA)のレポート(5.5MB)でも、インドでは潜在的に2ドル/kgH2(水素1キログラム当たり)を下回る価格で再生可能エネルギー由来の水素を製造することができる可能性が示唆されており、世界で競争力をもつ価格水準で水素製造ができることが見込まれている。

インド政府による目標

ナレンドラ・モディ首相は2021年8月、「国家水素ミッション」の策定を発表した(別添表1参照PDFファイル(585KB) )。これにより、2030年までの実現が期待される成果として、以下の項目が挙げられている。

  • 年間500万メトリックトン(以下、トン)以上のグリーン水素製造能力を開発し、これに伴い、約125GW(ギガワット)の再生可能エネルギー容量を追加する。
  • 総額8兆ルピー以上の投資を行う。
  • 60万人以上の雇用を創出する。
  • 化石燃料の輸入を累計で1兆ルピー以上削減する。
  • 年間約5,000万トンの温室効果ガス排出を削減する。

また、インドが水素プロジェクトに積極的に取り組む意義として、以下の項目が掲げられている。

  • インドをグリーン水素の世界的な生産・供給国に成長させるとともに、グリーン水素とその関連機器の輸出機会の創出を狙う。
  • 輸入化石燃料・原料への依存度を低減する。
  • 政府による強いインセンティブ付与により、産業界への投資とビジネスチャンスの誘致を行い、国内製造能力の強化および雇用確保を通じて、経済発展の機会を創出する。
  • 活用先としては、鉄鋼、長距離大型モビリティ、船舶、エネルギー貯蔵など、化石燃料や化石燃料を原料とするエネルギー源をグリーン水素などに置き換える分野におけるパイロットプロジェクトを支援する。

インド国内の水素需要は、2020年にすでに年間600万トンに達している。インド資源エネルギー研究所(TERI)の予測によると、2050年には水素の需要が2020年比5倍の2,800万トンに急増すると見込まれ、このうち8割がグリーン水素により賄われることが想定されている。

水素関連インセンティブは製造者向け中心

インドの水素製造に係る潜在性への期待は高まる一方、同領域への政策上のアプローチは、まだ事業性を見通せるものになっていない。最も大きな要因は、インド政府による水素事業に対するインセンティブが、製造側にのみ集中的に割り当てられ、需要側に対しては、ほとんどないことに起因している。具体的には、2023年1月に公表された国家水素ミッションの最新版PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(633KB)では、約1,974億ルピーが水素振興のための初期予算として割り当てられ、このうちSIGHTプログラム(注)に1,749億ルピー、パイロットプロジェクト組成に147億ルピー、研究開発支援として40億ルピーが支出予定とされている。この通り、政府からの財政的支援は、ほぼ全て水素製造のためのプログラムへの配賦が念頭に置かれている。

一方、インド国内における水素需要の創出に関しては、財政的インセンティブが割り当てられていないだけでなく、国家水素ミッションが発表された初期段階で議論されていた、エネルギー多消費産業に対するグリーン水素の使用義務付けに係る議論も、後退しているのが実態だ。前述の国家水素ミッションの最新版においては、エネルギー多消費産業に対するグリーン水素の利用義務付けではなく、まずは使用量のモニタリングを始めていくという方針が提起されている。具体的には、インドで年間消費される約5MMTの水素のうち、99%が石油精製や肥料用アンモニア製造に利用されていることに言及しつつも、対応策としては以下の内容を示し、現時点で確からしい水素需要の発生が見通せる内容となっていない。

  • 肥料省、石油天然ガス省、その他の関係部門とともに、グリーン水素の使用状況をモニターし、利用の促進を確実にするためのガイドラインや方法論を開発する。
  • 指定を受けた企業および公共部門は、定期的に報告書を提出する仕組みを作る。
  • モニタリングに必要な技術導入の促進。
  • グリーン水素の消費目標の強制力を確保するための法的な規定については、省エネ法を通じて確立される予定。

製造側にインセンティブが集中する状況については、インド政府の方針は現状一貫している。2022年6月に非営利研究所RMIが国立インド改革委員会(NITI Aayog)と共同で発表したレポートで言及している通り、2030年時点でインドは160GWの水素製造装置の導入を目指しているものの、そのうち合計110GW分は輸出用の容量として公算されている(うちアンモニアが69GW、その他の水素キャリアが41GW)。このことからも明らかな通り、インド政府による水素戦略は、国内で水素製造産業を育成するための産業政策的色彩が元々強く、国家水素ミッション最新版も、この方針に変更がないものとなっている。

インド企業による水素関連の取り組み

インド政府による強い先導を受け、インド企業の中で少しずつ水素を活用する取り組みは始まっている。リライアンス・インダストリーズ(RIL)、インドガス公社(GAIL)、国営火力発電公社(NTPC)、インド石油公社(IOC)、ラーセン&トゥブロ(L&T)などの、インドを代表する企業がグリーン水素事業への参入を計画している。例えば、RILは、2035年までに純炭素ゼロの企業になることを目指し、今後3年間で7,500億ルピーを、水素を含む再生可能エネルギー関連事業に投資する計画を立てている。この他にも、以下のような取り組みが進められている。

  • IOC:インド初のグリーン水素ユニットをウッタル・プラデシュ州のマトゥーラ製油所に設置し、原油の処理への水素使用を計画。
  • NTPC:独立型の1.25MW(メガワット)の太陽光発電システムを通じて、インド北部の山岳地帯レーに自然エネルギーだけで電力を供給する世界初の水素補給ステーションを設置するための入札を開始。
  • IOC、国営太陽光エネルギー研究所:水素補給ステーションをそれぞれファリダバード、グルグラム(いずれもデリー首都圏に位置するハリヤナ州)に設置。

インドの水素事業環境に係る考察

インド国内において、水素の需要側に対するインセンティブ付与の政府方針が現状見通せない中、国内における水素の需要を創出する取り組みについては、国際的に事業展開を進める多国籍企業が、自社の排出量を削減するために始めるパイロットケース的な位置付けの事業に限定されている。一方、水素製造領域においては、多くの外資企業がインドの大企業との水素製造に向けた協業などを発表するだけでなく、シンガポールが2025年からグリーン水素のインドからの輸入を開始するといった報道や、ドイツがインドからのグリーン水素の輸入を視野に入れた水素協力に関する署名を結んだという報道が確認され始めており、各国とインドとの間で少しずつ事業化に向けた議論が進み始めている。いくつかの事例については、別添表2PDFファイル(473KB) を参照されたい。

日本も、海外から水素を輸入するための国内制度整備に関しては、世界でも先行しているものの、インドとの具体的な水素バリューチェーンの組成に係る発表はいまだ行われていない。しかしながら、将来的に産業的裾野が大きく広がるポテンシャルのある水素領域は、日系企業が今後参入できる可能性を秘めていることは間違いないだろう。


注:
国内におけるグリーン水素産業のバリューチェーンの成長促進のための包括的なインセンティブプログラム(STRATEGIC INTERVENTIONS FOR GREEN HYDROGEN TRANSITION)。低価格のグリーン水素の製造と、関連機器や技術の国内製造を奨励するため、国家水素ミッションの下、広範な財政的インセンティブと非財務的措置を検討。初期段階では、電解槽の国内製造とグリーン水素の製造を支援することを目的とした、2つの異なる財政的インセンティブメカニズムが提案されている。本プログラムの下で付与されたインセンティブにより、グリーン水素の価格が大幅に低減され、新興分野での利用を可能にし、国内の製造エコシステムの確立を目指すもの。
執筆者紹介
ジェトロ・ニューデリー事務所
大瀧 拓馬(おおたき たくま)
2011年、経済産業省入省。被災した中小企業の事業再生プロジェクトや、電力およびガスの自由化の詳細制度設計など、エネルギー関連プロジェクトに従事後、カリフォルニア大学サンディエゴ校で修士号(気候変動科学)取得。東京電力への出向を経て、2021年から現職。インドを中心とした南西アジアへの日系企業の進出支援を行っている。

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