中南米におけるエネルギー転換ビジネスの行方 脱炭素社会実現に向けた取り組み(アルゼンチン)
水素と持続可能なモビリティを中心に

2023年10月20日

アルゼンチン政府はこれまでに、2030年の温室効果ガス(GHG)排出量を二酸化炭素(CO2)換算で3億4,900万トンとすることや、2050年のカーボンニュートラル実現を表明しており、パリ協定発効以前から気候変動に関する様々な国際的な枠組みに参加し、それに対応するための国家計画や法整備を進めてきた(表1参照)。

表1:気候変動に関する協定、法令、国家計画など
協定・法令・計画など名称 根拠法 公表年
気候変動に関する国際連合枠組み条約を批准する法律 法律24295号 1993年
京都議定書を批准する法律 法律25438号 2001年
パリ協定を批准する法律 法律27270号 2016年
パリ協定に基づく国が決定する貢献(NDC)を発表 2016年
エネルギーと気候変動に関する国家行動計画 2017年
地球規模の気候変動への適応と緩和のための最低予算に関する法律 法律27520号 2019年
気候変動への適応と緩和のための国家計画 環境と持続可能な開発のための政府事務局決議447/2019号 2019年
NDCの見直し 2020年
ジョランダ法(公務員への環境研修義務付け) 法律27592号 2020年
NDCの見直し 2021年
総合的環境教育の実施に関する法律 法律27621号 2021年
ラテンアメリカおよびカリブ海諸国における環境問題に関する情報公開、市民参加、司法へのアクセスに関する地域協定(エスカス協定)を批准する法律 法律27566号 2022年
気候変動への適応と緩和のための国家計画(改定) 環境・持続可能開発省決議146/2023号 2023年
国家科学技術・イノベーション計画2030 2022年
持続可能な輸送に関する国家計画 決議635/2022号 2022年
持続可能な金融国家戦略 経済省決議696/2023号 2023年
産業・技術の開発と発展のための国家計画(Argentina Productiva 2030) 2023年
2050年までの長期的な低排出による持続可能な開発計画 環境・持続可能開発省決議218/2023号 2023年
2030年に向けたエネルギー転換国家計画 経済省エネルギー庁決議517/2023号 2023年

出所:2030年に向けたエネルギー転換国家計画から作成

本稿では、様々な法令や国家計画のうち、2023年6月12日に公表された「2030年に向けたエネルギー転換国家計画(スペイン語)PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(1.3MB)」(以下、エネルギー転換計画)を中心に、脱炭素社会の実現に向けたアルゼンチンの取り組みを紹介する。

これまでに公表された複数の国家計画の内容を総合すると、政府は、国産技術、国産製品の開発を進めることにより、GHG排出削減目標の達成を目指していることがうかがえる。これらの国家計画は、目標達成のために取るべき行動についても触れているが、具体性に欠けるものが少なくない。それでも、国が目指す方向性は示されており、取るべき行動のいくつかについては、法律あるいは法案の形でその内容が具体的に示されている。本稿では、その中でも特に、水素と持続可能なモビリティを中心に最近の動きをみる。

2030年までのエネルギー転換目標

エネルギー転換計画は、GHG削減目標という国際約束を順守するためには、エネルギー転換が必要であるとの考えに基づき、策定されている。アルゼンチンは債務問題を背景とした慢性的な外貨不足の問題を抱えているため、エネルギー転換にはマクロ経済の安定と外貨の獲得を伴う必要がある、と条件付けている。

またエネルギー転換計画は、2030年までの実現を目指す6つの定量目標と4つの定性目標を掲げている(表2参照)。定量目標のうち、GHG排出量目標は、パリ協定に基づき各国が掲げるGHG排出削減目標、すなわち「国が決定する貢献(NDC)」となっている。外貨節約の観点から、GHG削減を国産技術で実現することも視野に入れており、定性目標に組み込まれている。

表2:2030年までのエネルギー転換目標
項目 内容
定量 1. 経済全体のGHGの純排出量が3億4,900万トン(CO2換算)を超えないこと。
2. エネルギー効率と責任あるエネルギー使用を通じて、エネルギー需要を少なくとも8%削減する。
3. 発電量の50%超を再生可能エネルギー(再エネ)由来とする。
4. 電気自動車普及率2%を達成する(登録台数ベース)。
5. 再生可能な分散型発電が1,000メガワット(MW)に達する。
6. 高圧送電網を5,000キロメートル(km)増設する。
定性 7. クリーンエネルギー技術のサプライチェーンを地域で発展させるための条件整備。
8. 同分野に関連する新たな雇用を創出。
9. エネルギー貧困の削減。
10. 公正なエネルギー転換の促進。

注1:分散型発電とは、再エネを利用した自家消費用など小規模な発電設備全般を指す。
注2:エネルギー貧困とは、生活上必要なエネルギー需要を満たすことができない状態を指す。
出所:2030年に向けたエネルギー転換国家計画から作成

これらの目標を達成するため、(1)関連政策の推進、(2)エネルギー利用の効率化、(3)クリーンエネルギーの推進、(4)ガス化の推進、(5)国産技術の開発、(6)電力システムの強靭(きょうじん)化、(7)連邦政府と州政府が一体となったエネルギー開発、(8)低炭素排出水素の開発、(9)持続可能なモビリティ、(10)公正で包摂的なエネルギー転換、の10項目について取るべき行動を示しているが、このうち、クリーンエネルギーとガス化の推進、低炭素排出水素、持続可能なモビリティの3つについてみていく。

再エネ開発の推進と天然ガス開発

世界8位の広大な国土を有するアルゼンチンは、太陽熱、風力、水力の豊富な再エネ源を有する。アルゼンチンでは、2015年法律27191号により再エネ導入目標が設定されており、消費電力量に占める再エネ比率(50MW超の大規模水力を除く)を2017年末までに8%、2019年末までに12%、2021年末までに16%、2023年末までに18%、2025年末までに20%とすることを目指しているが、2022年の消費電力量に占める再エネ比率は13.9%にとどまっており、現時点では目標達成には至っていない。

エネルギー転換計画は、消費電力量に占める再エネ比率ではなく、発電量に占める再エネ比率(50MW超の大規模水力を含む)を2030年には50%超とする目標を掲げている。2022年の発電量に占める再エネ比率は35.7%で、今後8年間で14.3ポイント以上を積み上げる必要がある状況だ(図参照)。

図:電源別発電量の推移
発電量は2002年の火力は41,090GWh、原子力は5,393GWh、再エネは0GWh、輸入電力は2,210GWhで合計81,334GWh。2003年の火力は39,466GWh、水力は38,717GWh、原子力は7,025GWh、再エネは0GWh、輸入電力は1,234GWhで合計86,442GWh。2004年の火力は49,399GWh、水力は35,133GWh、原子力は7,313GWh、再エネは0GWh、輸入電力は1,441GWhで合計93,286GWh。2005年の火力は51,351GWh、水力は39,213GWh、原子力は6,374GWh、再エネは0GWh、輸入電力は1,222GWhで合計98,160GWh。2006年の火力は53,928GWh、水力は41,080GWh、原子力は7,153GWh、再エネは1,907GWh、輸入電力は559GWhで合計104,627GWh。2007年の火力は61,012GWh、水力は35,426GWh、原子力は6.721GWh、再エネは1,864GWh、輸入電力は3,459GWhで合計108,482GWh。2008年の火力は66,877GWh、水力は35,121GWh、原子力は6,849GWh、再エネは1,761GWh、輸入電力は1,774GWhで合計112,382GWh。2009年の火力は61,362GWh、水力は38,799GWh、原子力は7,589GWh、再エネは1,543GWh、輸入電力は2,040GWhで合計111,333GWh。2010年の火力は66,391GWh、水力は38,799GWh、原子力は6,692GWh、再エネは1,502GWh、輸入電力は2,351GWhで合計115,735GWh。2011年の火力は73,475GWh、水力は38,084GWh、原子力は5,892GWh、再エネは1,371GWh、輸入電力は2.412GWhで合計121,234GWh。2012年の火力は82,331GWh、水力は35,173GWh、原子力は5,904GWh、再エネは1,974GWh、輸入電力は423GWhで合計125,805GWh。2013年の火力は82,711GWh、水力は39,056GWh、原子力は5,732GWh、再エネは1,978GWh、輸入電力は342GWhで合計129,820GWh。2014年の火力は83,049GWh、水力は39,207GWh、原子力は5,258GWh、再エネは2,301GWh、輸入電力は1,390GWhで合計131,205GWh。2015年の火力は86,347GWh、水力は39,840GWh、原子力は6,519GWh、再エネは2,510GWh、輸入電力は1,655GWhで合計136,870GWh。2016年の火力は90,099GWh、水力は36,192GWh、原子力は7,677GWh、再エネは2,632GWh、輸入電力は1,470GWhで合計138,070GWh。2017年の火力は88,531GWh、水力は39,584GWh、原子力は5,716GWh、再エネは2,635GWh、輸入電力は734GWhで合計137,200GWh。2018年の火力は87,727GWh、水力は39,952GWh、原子力は6,453GWh、再エネは3,350GWh、輸入電力は344GWhで合計137,825GWh。2019年の火力は80,137GWh、水力は35,370GWh、原子力は7,927GWh、再エネは7,728GWh、輸入電力は2,746GWhで合計133,909GWh。2020年の火力は82,336GWh、水力は29,093GWh、原子力は10,011GWh、再エネは12,737GWh、輸入電力は1,204GWhで合計135,381GWh。2021年の火力は90,073GWh、水力は24,116GWh、原子力は10,170GWh、再エネは17,435GWh、輸入電力は819GWhで合計142,612GWh。2022年の火力は81,751GWh、水力は30,186GWh、原子力は7,469GWh、再エネは19,340GWh、輸入電力は6,310GWhで合計145,057GWh。再エネ比率に関しては、2002年51.9%、2003年45.4%、2004年38.3%、2005年40.5%、2006年41.3%、2007年35.5%、2008年33.3%、2009年36.9%、2010年35.5%、2011年33.2%、2012年29.6%、2013年31.7%、2014年32.0%、2015年31.3%、2016年28.4%、2017年30.9%、2018年31.5%、2019年32.9%、2020年31.2%、2021年29.3%、2022年35.7%。

出所:電力卸売市場管理会社カメサ(CAMMESA)データからジェトロ作成

アルゼンチンは、北西部に太陽光発電適地、南部に風力発電適地を抱えるが、いずれも需要地であるブエノスアイレス州周辺から遠く離れている。近年の厳しい経済情勢から送電系統への投資が進まず、再エネ資源を生かせない状況にある。そのボトルネック解消のため、エネルギー転換計画は、高圧送電網の増設を目標の1つに掲げている。

政府は近年、天然ガス開発とその輸送インフラの整備に先行して力を入れている。これには、天然ガスの自給自足による外貨の節約のほかに、送電系統の整備など脱炭素に必要な電力部門の公共投資に必要な原資の獲得や、発電と輸送部門において使用される石油を、CO2排出量が少ない天然ガスに置き換える狙いがある。アルゼンチンは、世界2位のシェールガス埋蔵量、世界4位のシェールオイル埋蔵量を有するが、一大産地である南部ネウケン州から需要地のブエノスアイレス州周辺までの天然ガスの輸送インフラがこれまで未整備だったことから、エネルギー貿易は輸入超過の状態だ。特に冬季には暖房需要が高まり天然ガスを輸入していたため、外貨不足をさらに深刻化させている。しかし、2023年7月に巨大シェールガス鉱区「バカ・ムエルタ」があるネウケン州トラタジェン市とブエノスアイレス州西部のサリケロ市を結ぶ全長573kmのネストル・キルチネル・ガスパイプライン(GPNK)の第1期敷設工事が完了し、状況は変わりつつある。天然ガスの輸出に向けたインフラ整備も進められており、アルゼンチン経済にとっては明るい材料となっている。

水素経済の構築に向けて国家戦略を策定

エネルギー転換計画は、経済の脱炭素化を可能にするエネルギー・キャリアの1つとして水素を掲げている。同計画では、水素経済構築のために取るべき行動として、(1)関係省庁の積極的関与、(2)低炭素排出水素を推進するための法整備、(3)低炭素排出水素の開発を推進するための知見と技術の創出、の3つが掲げられている。そして、2023年2月には戦略庁決議3/2023号により創設された「省庁横断水素円卓会議」が、水素経済開発国家戦略(スペイン語)PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(1.3MB)(以下、水素国家戦略)を策定し、2023年9月に公表した。2006年に水素推進法が公布されたが、施行規則は公布されていない。そのため、政府が水素経済の構築に本格的に取り組むのはこれからだ。

水素国家戦略は、水素の生産、技術開発の重要性を認め、低炭素排出水素、すなわち再エネ由来のグリーン水素、原子力エネルギー由来のピンク水素、化石燃料由来のブルー水素を生産し、国内市場と海外市場の双方にこれらを供給して、水素経済の構築を目指している。ただ水素を生産するだけでなく、関連機器とサービスの国産化も視野に入れている。

また水素国家戦略は、2030年、2050年までの水素の生産コスト、輸出量、国内消費量、雇用創出などについて定量目標を掲げている(表3参照)。

表3:水素経済開発国家戦略に示された2030年、2050年までの目標(―は値なし)
項目 現在 2030年 2050年
生産コスト(ブルー水素) 1.5ドル/kg 1.1ドル/kg 1.1ドル/kg
生産コスト(グリーン水素) 2.8 ドル/kg 1.7ドル/kg 1.4ドル/kg
年間水素輸出量 30万トン 400万トン
年間水素国内消費量 2万トン 100万トン
雇用創出 1万3,000人 8万2,000人超

出所:水素経済開発国家戦略から作成

2050年までに輸出量と国内消費量を合わせた年間500万トンの水素を生産する目標を実現するために、30ギガワット(GW)の電解槽、55GWの再エネ発電設備が必要で、900億ドルの投資が見込まれる、と試算。輸出は、生産量の8割を目指す。また、水素のバリューチェーンを構成する関連設備やサービスの50%を国産化する必要があるとしており、現在は国内生産がない財やサービス、例えば、電解槽の構成部品の製造や保守技術などの国産化を目標に掲げている。

現在、アルゼンチンではグレー水素の生産、消費はすでに行われている。グレー水素は、ブルー水素と同じく化石燃料由来の水素だが、ブルー水素はCO2回収技術を用いてCO2排出抑制と貯蔵を行った上で生産されるのに対して、グレー水素は大気中にCO2が大量に放出される。水素国家計画によると、アルゼンチンでは現在、年間40万トンのグレー水素が生産されており、肥料やメタノールの生産、製鉄、燃料の精製、その他の化学工業において使用されている。水素国家戦略は、国内にすでに水素の消費市場があることが、水素経済を構築する上で有利に働くとしている。なお、グリーン水素については、南部チュブット州で2008年にグリーン水素のパイロットプラントが設置され、同じく南部のサンタ・クルス州でもテストプラントの建設計画が進められている。

国内外資本による取り組みは初期段階

民間企業による取り組みは初期段階だ。鉱業、エネルギー、グリーンテクノロジーなどを手掛けるオーストラリアのフォーテスキューは2021年、南部のリオ・ネグロ州において84億ドルを投じてグリーン水素を開発する計画「パンパ・プロジェクト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」を発表した。水素の年間生産量は220万トンで、直接雇用1万5,000人、間接雇用4万から5万人を創出するとしている。同計画は、風力発電所から送電線、グリーン水素製造プラント、輸出用の港湾インフラまで、グリーン水素の生産バリューチェーン全体を統合的に開発することを掲げており、環境・社会影響調査が現在進められている。2023年5月16日付の現地紙「アンビト」(電子版)は、「環境・社会影響調査は2023年まで続けられるが、プロジェクトが次の段階に進むためには、アルゼンチンにおける水素産業の発展の基礎を定義する規制の枠組みが不可欠である」との同社のコメントを紹介しており、その後、5月29日には「低炭素・その他の温室効果ガス排出水素推進法」の法案(スペイン語)PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(123KB)が下院に提出された。

同法は、「低炭素・その他の温室効果ガス排出水素推進制度」と呼ばれる投資優遇制度を設ける。法律の発効から30年間有効な制度とすることで、法的安定性を投資家に保証する。低炭素排出水素だけでなく、グリーン水素生産用の電気分解プラント向けの再エネ発電所、ブルー水素生産のための天然ガス改質プラント、ピンク水素生産のための原子力発電所など、水素に関連する広範な設備への投資を制度の対象としている。

同制度のインセンティブとして、資産の償却ペースの短縮を認める加速度償却のほか、法律の発効から10年間、財の輸入に係る関税および諸税を免除すること、水素の輸出額の50%相当額の外貨を商業負債、金融負債の支払いに自由に充てることを認めるなどしている。しかし、国内消費を目的とするプロジェクトの場合は外貨獲得に関するインセンティブは適用されず、仮に輸出を目的とするプロジェクトであったとしても配当金の本国送金は認められていないため、制限的なインセンティブであるともいえる。加えて、設備などの国産化比率についても規定があるため、国産技術が限られている現状を考慮すると慎重な検討が必要となっている。

また、国内勢でも取り組みが進んでいる。国有石油会社YPF傘下のY-TECと科学技術・イノベーション省傘下の国家科学技術研究会議(CONICET)は2023年3月、グリーン水素製造のための高出力電解槽の開発に着手した。また、Y-TECとCONICETが2020年7月に立ち上げた「アルゼンチンにおける水素経済開発のためのコンソーシアム(H2ar)(スペイン語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」の参加企業も着実に増えており、参加企業は60社近くに達している。コンソーシアムの目的は、パイロット・イニシアチブの実施分野に関するロードマップの策定、アーリームーバーとなることで水素経済における優位な地位を確保すること、アルゼンチンにおける水素の生産能力、技術の開発におけるルール形成への貢献にあり、日系企業では、トヨタ自動車、豊田通商、住友商事、三井物産が参加している。

自動車産業の電動化を急ぐ政府

エネルギー転換計画によると、2018年時点で国内のGHG排出量の13.9%を運輸部門が占めている。脱炭素には持続可能なモビリティの発展と化石燃料の段階的な代替が不可欠だが、持続可能なモビリティへの移行にはインフラ整備が必要なため、国内で普及する乗用車については、短期的には低炭素排出の天然ガス自動車へ、中長期的には電気自動車(EV)やハイブリッド自動車への移行を目指すとしている。

政府は、2021年10月に「持続可能なモビリティ促進法」の法案を公表。その後、法案の名称を「電動モビリティ推進法」に変更して、2022年1月に国会に提出した。同法案は、EV、燃料電池自動車、ハイブリッド自動車、超小型モビリティなど持続可能なモビリティ以外の自動車の国内販売を2041年以降に禁じ、輸入部品に依存している自動車産業の転換、すなわち持続可能なモビリティの国内生産、新市場への輸出拡大、国内で産出されるリチウムの用途拡大を視野に入れている。

しかし、「電動モビリティ推進法」の法案審議は進展せず、2023年4月には新たに「ハイブリッド自動車・電気自動車生産推進法」の法案を準備していることが政府から発表された。「電動モビリティ推進法」は、持続可能なモビリティを導入する側、つまり需要者へのインセンティブに重きを置いており、電動車の国内生産を後押しするものではない。アルゼンチン政府は2023年2月、中国の奇瑞汽車(チェリー)がアルゼンチンでBEV(バッテリー式電気自動車)の製造を計画としていることを発表したが、需要者に偏ったインセンティブが、地場の自動車部品産業ではなく、自国で生産したもので解決する「中国モデル」に利することを危惧する声が自動車産業から聞かれた。「ハイブリッド自動車・電気自動車生産推進法」の法案は、2023年9月現在も国会に提出されていないため、その内容は不明だが、こうした自動車産業の声に政府が配慮したとみられる。

政府は、「ハイブリッド自動車・電気自動車生産推進法」に加えて、国内で産出されるリチウムの一定割合に国内で付加価値を付けることを義務付ける「リチウム産業化法」の法案を準備している。この2つの法律により、国内で産出されたリチウムを用いてリチウム電池を国産化し、それを搭載するEVを国産化する、つまり、リチウムを起点とするバリューチェーンを国内に構築する狙いがあるとみられる。ただ、いずれの法案も国会へ提出されていない。それは、リチウムのバリューチェーン構築を急ぐ政府と自動車産業の双方の考えに大きな隔たりがあるからかもしれない。

アルゼンチンではHEVが主流に

アルゼンチン自動車製造業者協会(ADEFA)は、アルゼンチンを含む中南米諸国においては、今後10~15年はBEVではなくHEV(ハイブリッド自動車)が主流になるとみる。アルゼンチンの自動車産業の構造、アルゼンチンを含む南米主要国の地理的特性、電動車の普及に必要なインフラ整備計画の不在がその理由だ。

アルゼンチンでは現在、トラック・バスを含めて完成車メーカー10社が商用車を中心に完成車を国内生産しているが、地場の小規模な自動車製造会社を除いて、電動自動車を国内生産する具体的な計画は存在しない。

EVの大規模な国内生産は、アルゼンチンで生産される自動車の約6割が輸出されていること、輸出台数の約6割がブラジル向けであることを考慮すると、アルゼンチンの事情だけでなく、輸出先であるブラジルを中心とした中南米諸国のエネルギー事情を考慮する必要がある。アルゼンチンではバンやピックアップトラックなど商用車が、ブラジルでは小型乗用車が生産されており、両国は補完関係にある。現状、ブラジルは、ガソリンにバイオエタノールなどを加えたフレックス燃料の使用に依存しており、フレックス燃料車は持続可能ではあるものの、内燃機関を搭載している。両国はともに国土が広大で、EVを本格的に普及させるには充電スタンドなどのインフラ整備に多額の投資をしなければならない。しかし、少なくともアルゼンチンでは、整備は進んでいない。国土が広大であるが故に、長い航続距離が求められるということは、アルゼンチンとブラジル以外の南米主要国も同じだ。

とはいえ、ブラジルでは、中国のEV最大手の比亜迪(BYD)が2023年7月、中型・大型電気バスとトラックシャーシの生産工場、EVとプラグインハイブリッド車の生産工場、リン酸鉄リチウムイオンバッテリーの材料加工工場を設置すると発表した。アルゼンチンでも、中国の車載電池製造大手の寧徳時代新能源科技(CATL)の子会社、広東邦普循環科技(Guangdong Brunp Recycling Technology)がサルタ州にリチウム電池工場を建設する計画がある。こうした動きが、アルゼンチンとブラジルの自動車生産の補完関係に今後影響を与えるかもしれない。

新政権は再エネ、新エネのポテンシャルの高さを生かせるか

アルゼンチンの経済情勢は足元では非常に厳しく、資本取引規制、輸入規制は企業の投資を難しくしている。鉱物資源のように、現地でしか採掘できないもの、かつ投資回収に長い時間を要するものには例外的に外国直接投資が集まっているが、水素など新エネルギー(新エネ)や脱炭素技術への投資拡大には経済情勢の改善が待たれる。アルゼンチンでは2023年12月に新政権が発足する予定だ。新政権は、いかに経済を立て直し、豊富な再エネ資源や新エネ分野への投資を集めるのか。そして、GHG削減目標の国際約束を実現できるのか。現時点で、どの政党が新政権を担うのかは不明だが、新政権の取り組みに期待したい。

執筆者紹介
ジェトロ・ブエノスアイレス事務所
西澤 裕介(にしざわ ゆうすけ)
2000年、ジェトロ入構。ジェトロ静岡、経済分析部日本経済情報課、ジェトロ・サンホセ事務所、ジェトロ・メキシコ事務所、海外調査部米州課、ジェトロ沖縄事務所長などを経て現職。