スタートアップを生んで育てる。最前線の取り組み(欧州編)シードステージ向け非営利アクセラレーターに注目(エストニア)

2024年3月28日

先進的な電子国家であるとともに、有望なスタートアップを多く生み出すイノベーション国家として知られるバルト3国の1つ、エストニア。スタートアップ・エコシステム調査会社スタートアップ・ゲノムが発表した「グローバル・スタートアップ・エコシステムレポート2023」の「エマージング・エコシステム・ランキング」では、前年調査から順位を28も上げ、10位にランクインした。

官民を挙げた積極的なスタートアップの育成支援がその背景にあり、政府系の支援機関に加えて、民間のアクセラレーター、インキュベーター、ベンチャーキャピタル(VC)が多く存在する。

本稿では、カナダ発のユニークなアクセラレーター「クリエーティブ・ディストラクション・ラボ(CDL)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」のエストニア拠点「CDL-エストニア外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」の活動について、ジェトロが訪問し、インタビューした内容に基づいて紹介する。CDL-エストニアでディレクターを務めるエルモ・ティック氏と、ストリーム・リード(Stream Lead)のアルトゥル・カンベルク氏に聞いた(取材日:2024年1月24日)。

組織概要と支援内容

クリエーティブ・ディストラクション・ラボ(CDL)は、シードステージの科学技術系スタートアップ向けに、目的に応じた支援プログラムを提供するカナダ・トロント発の非営利団体(NPO)。同プログラムを2012年に創設したトロント大学ロットマン経営大学院のアジェイ・アグラワル教授は、大学などの学術的な場所で開発された科学技術を商業化する際には、起業家の経験不足や、科学とビジネスの現場のボキャブラリーの違いにより、多くの課題が発生すると考えた。アカデミックな現場から初めて起業を目指す人々のために、経験豊富なメンターによる支援を提供し、スムーズにビジネスを軌道に乗せるために創設されたのがCDLだ。

CDLは現在、カナダと米国を中心に、世界7カ国に13拠点を構える。欧州では、オックスフォード(英国)、パリ(フランス)、ベルリン(ドイツ)、タルトゥ(エストニア)に4拠点がある。CDL-エストニアは2022年に活動を開始し、同国南部の最高学府タルトゥ大学の施設で、経済や経営のプログラムを提供する「デルタ・マネジメント・スクール」内に事務所を構える。

CDLの各拠点は、地域ごとの強みを生かして、合計24の「ストリーム」と呼ばれる注力分野を持つ(注1)。エストニア拠点では、電子国家や先進的なIT技術で知られる同国らしく、「デジタル社会」ストリームを提供し、デジタルガバナンス、サイバーセキュリティー、公衆衛生またはゲノミクス分野などでイノベーションに取り組む初期段階の起業家向けにサービスを提供している(注2)。

CDLのプログラムは、毎年10月に始まり、翌年6月までの全9カ月間に及ぶ。プログラム期間中、メンターとスタートアップは2カ月に1度、合計4回の「セッション」と呼ばれるミーティングを実施する。4回のうち3回は対面、残り1回はオンラインで開催される。

セッションでは、スタートアップが次の2カ月間の目標を設定し、メンターとともに、どのような活動が成長のために最も有益かなどについて話し合う。そのテーマは、資金調達、市場参入ための戦略、製品の検証など多岐にわたり、アプローチもビジネス面から法律に関わるものまで、各スタートアップがその時点で抱えている問題に対処するものとなる。つまり、プログラムには固定されたカリキュラムがあるわけではなく、各社向けにカスタマイズされたサポートを提供する。

メンターとのネットワークが活動のカギ

CDLが上記のサービスを提供するために重要なのが、プログラムに支援者側として参加するメンターとのグローバルなネットワークだ。CDLのメンターは主に、(1)テック分野で既に成功を収めた起業家(スタートアップを設立しエグジットした経験を持つなど)、(2)投資家(VCやエンジェル投資家など)、(3)特定分野の専門家(科学者や法律家など)で構成される。(3)に関しては、エストニア拠点では、同国の電子政府の基盤となる技術や、人工知能(AI)、ゲノミクス、サイバーセキュリティーなど、エストニアが強みを持つ分野の専門家にメンタリングを依頼しているという。

CDL-エストニアのウェブサイトに掲載されている12人のメンターリストの中には、CDL-エストニアの共同創設者で、スカイプやテレポートをはじめ多くの民間企業や公的機関で幹部を務めたステン・タンキビ氏のほか、エストニア政府の最高情報責任者(CIO)をそれぞれ務めたタービ・コトカ氏やシーム・シクット氏も名を連ねる。

CDLのメンターはスタートアップに単にアドバイスをするだけでなく、企業が各時点で成長や問題解決のために連携する重要な存在だ。プログラム中はスタートアップ1社に1人のメンターが固定されているわけではなく、その時抱えている課題に応じて、新たなメンターとのつながりができることもある。

各セッションの最後に、メンターから支援希望を出されたスタートアップは、次のセッションに参加する。どのメンターにも選ばれなかったスタートアップは、その時点でプログラムから事実上脱退することになる。最終セッションまで残るスタートアップは通常、開始時点の40%程度の10社弱程度だという。

ティック氏は「脱退は、スタートアップがその時点でストリームの支援内容に合わなかっただけのこと。企業自体は大変有望で、その後大成功することもある。メンターの時間もスタートアップの時間も無駄にしないということで、必ずしも悪いことではない」と補足した。つまり、スタートアップと各ストリームとのシナジーがとても重要ということだ。

最終セッションまで残ったスタートアップは、CDLの「アルムナイ(卒業生)」として登録される。CDL全体がこれまでに輩出した約3,000社のアルムナイは、毎年6月に開催される「スーパーセッション」に招待されるなど、プログラム終了後もCDLのネットワークをビジネスに活用することができる。

ティック氏は、CDLに参加したスタートアップは、(1)トップレベルのメンターによるメンタリング、(2)(CDL自体は資金提供をしないが)外部の投資家とのつながり、(3)(メンターや投資家、ほかのスタートアップとの)ネットワーキングの3つを得ることができると説明した。


セッションの様子(CDL-エストニア提供)

セッションの様子(CDL-エストニア提供)

非営利のビジネスモデルで得られるもの

CDLがアクセラレーターとしてユニークなのは、非営利のビジネスモデルだろう。一般的な民間のアクセラレーターとは異なり、CDLは参加するスタートアップの株式を取得したり、参加費用を徴収したりすることはしない。また、メンターに謝金は支払っていない。ティック氏は、このように誰からも費用を取らない代わりに、金銭以外の「何か」をプログラムに関わる皆が得られる仕組みになっていると強調した。参加するスタートアップが自社の成長機会やビジネスの成功につなげられるのはもちろんのこと、メンターもCDLのコミュニティーを通じて業界の最新情報や有望なスタートアップとのネットワークなどのリターンを得ることができるという。

CDL-エストニアの運営費の3分の1は政府、残り3分の2はエストニアで成功を収めた起業家などが設立した投資ファンドによる出資で賄われている。イノベーションに対する政府の支援が手厚いエストニアらしい。ほかの国では、米国のアマゾンなど、企業パートナーの存在が大きいという。また、各拠点は通常、地元の名門大学の下にあるため、大学が運営費を出資していることも多い。

選出方法

CDLの各拠点のスタッフはプログラムに最適なスタートアップを選出するため、毎年多大な時間と労力をかける。2023年、CDL-エストニアでは、2,000~4,000社のスタートアップの情報を調べ、約300のスタートアップと面談をし、最終的には22社に絞った。選定プロセスは2月または3月に開始し、8月ごろまで約半年をかける。スタートアップからの応募も受け付けているが(後述の申請フォーム参照)、エストニア拠点ではその割合は選定対象企業の10%程度で、ほとんどはスタッフが大学や研究機関、政府系支援機関へのヒアリング、イベントへの参加、データベースの閲覧などを通して、自ら発掘しているという。

前述の選定プロセスがCDLの13拠点の全てで毎年行われ、拠点を越えた情報交換や、報告書の作成をする中で、結果的にはCDLがその時々の世界のテクノロジーやイノベーションのトレンドを把握することにつながっている。

日本からの参加も歓迎

CDL-エストニアでは、新北欧8カ国(注3)や中・東欧地域のスタートアップがメインターゲットであるものの、基本的には世界の全地域が対象で、実際の参加企業の国籍もさまざまだという。CDL-エストニアのプログラムに、日本を含むアジアからの参加者は取材時点でまだいないとのことで、両氏は、日本からの今後の参加に期待を示した。参加に当たり、エストニアやEUでの企業登記の条件はない。

CDLのプログラムに参加するは、厳しい選考過程があるものの、申請フォーム外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますから登録し、申し込むことができる。エストニア拠点では「デジタル社会」のストリームに合致するスタートアップを探しているが、ほかのテック分野に携わるスタートアップは別拠点を希望することも、CDLのネットワークを通じて紹介してもらうことも可能だ。


注1:
エストニアの「デジタル社会」ストリーム以外には、ほかの拠点からAI、がん治療、気候、エネルギー、フィンテック、製造業、鉱物、量子技術、宇宙などのストリームを提供している(CDLウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。1つのストリームは複数の拠点に置かれることもある。
注2:
ティック氏は取材時に、CDL-エストニアの「デジタル社会」ストリームのフォーカスは、(1)デジタル・トランスフォーメーション(DX)、(2)デジタルヘルス、(3)サイバーセキュリティーの3つだと語った。
注3:
フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランドに、バルト3国のエストニア、ラトビア、リトアニアを加えた8カ国。ニュー・ノルディック。
執筆者紹介
ジェトロ調査部欧州課 リサーチ・マネージャー
森 友梨(もり ゆり)
在エストニア日本国大使館(専門調査員)などを経て、2020年1月にジェトロ入構。イノベーション・知的財産部イノベーション促進課を経て、2022年6月から現職。
執筆者紹介
ジェトロイノベーション部スタートアップ課
蓮井 拓摩(はすい たくま)
2022年、ジェトロ入構。CESやTechCrunch Disrupt 2022イベントでのJAPANパビリオン出展を支援。日本発スタートアップの米国展開支援を担当。