勢い増すアジアのスタートアップ・エコシステム最前線大学が育成から投資まで多様な役割を担う北京のエコシステム(中国)

2024年3月27日

中国の首都である北京市には、北京大学、清華大学などの有力大学や国立研究機関が多数立地するほか、大手企業が集積している。スタートアップにとって、これらへのアクセスや協力が容易なことが同市のエコシステムとしての特徴であり、強みとなっている。

とりわけ、清華大学などの有力大学は、豊富な資金をもとに傘下に多数のファンドを抱えている。スタートアップにとって有力な資金の出し手となっていると同時に、インキュベーション・アクセラレーション、ネットワークを通じた国内外企業とのマッチング、海外展開支援など多様な機能を担っている。こうした大学が持つネットワークが北京市のエコシステムの1つの特徴となっている。

本稿では、北京市のスタートアップ・エコシステムの特徴と優位性を見つつ、その事例として、清華大学傘下の機関におけるインキュベーションなどの取り組みを紹介する。

ユニコーン企業が多くVC/PE投資が盛んな北京市

北京市の殷勇市長(同市党委員会副書記を兼務)が2024年3月19日の記者会見で紹介したところによると、北京市には大学が92校、科学系の研究機関が1,000カ所以上所在し、国家実験室(中国科学院および国家重点大学に所属する研究施設)、大規模な科学施設の数といった指標でも全国首位となっている。また、企業の営業収入(売上高に相当)に占める研究開発(R&D)支出の比率も、全国トップレベルである6%前後の水準を維持している。人材面では55万人以上のR&D人員を擁し、特に人工知能(AI)分野では全国トップクラスのAI人材の43%が北京市に所在している。また、国家ハイテク企業(注1)、「専精特新の小巨人」企業(注2)といった企業の数でも、全国各都市の中で第1位となっている。

大学以外にも、百度(バイドゥ)、京東、滴滴出行(DiDi)、マイクロソフトなど、中国内外の有力なテクノロジー・IT関連企業が本社や統括本部を北京に置いており、大手企業のコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)やプライベート・エクイティ(PE、未公開株式)ファンドも集積している。

こうした集積の効果もあってか、北京市では多くの有力なスタートアップが生まれている。CBインサイツ(スタートアップやテクノロジー企業、ベンチャーキャピタルなどの情報データベース)によると、北京市は、中国の都市の中で最も多くのユニコーン企業を輩出しており、中国でこれまでに生まれたユニコーン企業の3分の1以上は北京市の企業となっている(注3)。代表的な企業としては、「TikTok」を生み出したバイトダンスや自動運転向けのAIチップを研究開発する北京地平線機器人技術研発(Horizon Robotics、地平線)などが存在する。なお、中国の長城戦略コンサルティングが2023年6月20日に発表した「中国の潜在的ユニコーン企業研究報告2023」によると、中国には潜在的ユニコーン企業(注4)が2022年時点で653社存在するが、そのうち北京市の企業は138社で第1位となっており、今後の成長ポテンシャルが高いスタートアップの層も厚い。

有望な企業が多いことに加えて、ベンチャー投資も活発だ。専門研究機関である清科研究センターが発表した「China VC/PE Market Review 2023」によると、北京市の2023年のVC/PEによる投資件数は1,070件(うちVCによる投資が504件、PEによる投資が566件)、VC/PEによる投資額は826億ドル(うちVCによる投資が242億ドル、PEによる投資が584億ドル)となっており、都市別でみると投資件数では第1位、投資額では上海市に次いで第2位となっている。主な業種別でみると、ITが投資件数(457件)、投資額(203億元)のいずれにおいても全国省市の中でトップとなっている。

有力大学の持つネットワークにメリット

北京市に大学が集積しているメリットとしては、まずハイレベルな人材が持続的に輩出されるという点がある。特に、北京大学や清華大学はAIやコンピュータサイエンスの領域において世界でも上位にあり、こうした環境で学んだ優秀なテクノロジー系人材が多数存在する。

また、有力大学は、起業家・企業家など社会的に成功したOBからの寄付を受けることなどによって得た潤沢な資金を活用し、大学ファンドやVCを運用してスタートアップを含む多数の企業に投資しているケースが多い。このことから、大学が資金の出し手としての役割も担っている。

さらに、有力大学は、自身が保有する技術や研究成果の事業化に熱心だ。事業化のために大学発スタートアップを育成するほか、投資家や企業と密接な関係を築いている。こうしたリソースを活かして、大学自身またはその関係機関が、起業家やスタートアップに対して、トレーニング、メンタリング、ピッチコンテスト、インキュベーション、アクセラレーションといったサービスを提供するようになっている。スタートアップは、こうしたサービスを利用することで、大学内の施設・設備、起業家・企業家のOBや有名教授、優秀な研究チームなどを活用することができる。このように、有力大学とつながることには、資金面のみならず、ネットワークにアクセスできるというメリットが存在する。

シード期から上場まで支援する清華大学傘下のTusHoldings

このような有力大学の活動の事例として、清華大学発のS&T(サイエンス&テクノロジー)サービスを中心とする持ち株会社であるタスホールディングス(TusHoldings)を取り上げる。同社は、清華大学の100%子会社が株式の40%以上を所有する企業で、1994 年に同大学の研究成果の事業化のために設立され、その後インキュベーションなどへ事業を多角化してきた。同社は約800社以上の企業(うち上場企業は10社以上)に出資しており、管理するファンドは60、ファンドの規模は400億元(約8,000億円、1元=約20円)以上に及ぶ。業務内容としては、国内外でのサイエンスパークの運営、インキュベーションおよび企業の各ステージにおける投資などを行っている。

同社のインキュベーションでは、清華大学をはじめとする国内外のネットワークを活用し、シード期から成熟期、上場までの企業の成長段階に応じた一貫した支援を受けられることなどが強みになっている。また、起業家によるメンタリング(注5)、ビジネスプランの策定支援などの創業トレーニング、ピッチコンテストなど政府・出資者などとのマッチング、自社ファンドによるエンジェル投資など多様なサービスも提供している。

タスホールディングスのインキュベーター事業は様々なプレイヤーによって担われているが、その中でも代表的なインキュベーターがタススターだ。タススターは中国科学技術部が認定した国家級インキュベーターの1つであり、中国国内に約150のインキュベーションベース、40万平方メートルのイノベーション、インキュベーションエリアを有している。これまで累計1万社以上の企業をインキュベーションし、2,000社以上の企業が卒業し、41社以上の上場企業を生み出した。同社のインキュベーション施設には、製品を試作できるラボや、起業家と企業が交流できるスペースを備えているものもある。また、同社は国家級インキュベーターに認定されていることから政府から運営費の補助を受けており、スタートアップの入居費用が通常より安くなっているケースがある(注6)。

また、同社は年間約3,000件のイベントを開催し、スタートアップのビジネスプランの策定支援、資金調達に関するアドバイス、ピッチイベントの開催、エンジニアとの交流を通じた技術トレーニングを行っている。注力している業界としては、環境、クリーンエネルギー、ヘルスケア、デジタル、新材料などがある。

同社は、スタートアップと大企業や投資家をつなぐプラットフォームとしても機能している。これまで、スタートアップのアクセラレーションプログラムを、アマゾンウェブサービス(AWS)、北京銀行、中国国際海運コンテナ集団(CIMC)、中国中車(CRRC)、英国のBPなどの国内外の大企業とパートナーを組んで実施してきた。大企業側の参加目的としては、自社サービスの販売拡大、スタートアップ業界でのブランディング、投資先候補や自社に必要な技術分野でのパートナー候補の発掘、スタートアップを活用した業務改善などが挙げられる。このほか、海外でのビジネスマッチングなども多数実施している。

タスホールディングス自体も、海外事業に積極的に取り組んでおり、日中クロスボーダー・イノベーションプラットフォームを立ち上げ、日中間のイノベーションエコシステムの交流、両国の大企業とスタートアップのマッチングなどを実施している。


清華大学に隣接して立地するタスホールディングスの建物(ジェトロ撮影)

注1:
国が重点的に支援するハイテク分野において、研究開発従事者数や研究開発費総額、知的財産権などに関する一定の条件を満たすと政府から認定された企業。ハイテク企業認定を受けた企業は、企業所得税率が通常25%のところ15%になるなど優遇措置を受けることができる。
注2:
工業情報化部が認定した、専門性を有し、精密な技術力を持ち、差別化され、革新的な有力中小企業。
注3:
ユニコーン企業については、海外において一般に使用される定義(評価額が10億ドル以上、設立10年以内の非上場のベンチャー企業)と、中国において独自に定義されているものが存在するが、ここではユニコーン企業数としてCBインサイツのデータ(2023年10月19日時点)を使用。
注4:
同報告によると、潜在的ユニコーン企業とは、設立後5年以内で直近の資金調達評価額が1億ドル以上の企業、または、設立後5年超9年以内で直近の資金調達評価額が5億ドル以上の企業と定義されている。
注5:
タススターによると、同社には550人以上のスタートアップ向けメンターが存在する。
注6:
タスホールディングスへのヒアリングに基づく(2024年1月19日)。なお、 インキュベーターへの優遇策を含む、中央政府および北京市の産学連携関連支援策についてはジェトロ調査レポート「北京市の大学と日本企業の共同研究提携調査PDFファイル(930KB)」に詳しい。
執筆者紹介
ジェトロ調査部中国北アジア課 リサーチ・マネージャー
小宮 昇平(こみや しょうへい)
2013年、ジェトロ入構。海外調査部中国北アジア課に配属。2016年3月より1年間の海外実務研修(中国・成都事務所)を経て、2017年3月から2018年8月まで中国北アジア課に所属。2018年8月から2023年7月まで中国・北京事務所にて調査業務等に従事。2023年7月から現職。