勢い増すアジアのスタートアップ・エコシステム最前線質の高いインキュベーターが企業を育成する上海(中国)

2024年3月22日

中国では、2014年に李克強首相(当時)によって、「大衆創業・万衆創新」(略して「双創」)を推し進めていくことが提唱された。双創とは、一般大衆による創業、イノベーションという意味だ。それ以来、中国ではスタートアップ企業の育成とイノベーションを強力に推進してきた。貿易・金融の中心地・上海市ではいま、「質の高いインキュベーターの創出・育成支援」を新たなキーワードに、その専門化されたインキュベーターが力のある企業を生み育てるエコシステムの形成に駒を進めている。

国際都市・上海のイノベーション土壌

上海は中国経済の中心であり、全国で初の「自由貿易試験区」に指定され、国際金融センターの機能と合わせて、外資系企業の中国市場へのランディングポイントとしての地位を確立してきた。外資系企業962社の地域統括拠点と、同563社の研究開発拠点を擁する(2024年1月時点、注1)。中国に進出する日系企業の拠点3万1,324のうち、在上海日本総領事館の管轄地域に当たる華東地域には2万2,729拠点が所在する (2022年、注2)。

2019年には上海証券取引所にハイテク新興企業向けの株式市場「科創板」(Science and technology innovation board)が設立されるなど、創業の活性化に向けた環境整備も進められた(注3)。上海市は、世界のエコシステムランキングで第9位にランクインしている(2023年、注4)。

上海市政府によると、上海市のイノベーションの方針は「(2+2)+(3+6)+(4+5)」と表される。「2+2」は、先端製造業と現代サービス業の統合、産業のデジタル化とグリーン・低炭素化を示している。「3+6」は集積回路、生物医学、人工知能(AI)の3大産業と、「6」はパイロット産業の電子情報、バイオ・ヘルスケア、自動車、ハイエンド設備、先端素材、消費財の6分野を指す。「4+5」は、デジタル経済、グリーン低炭素、メタバース、インテリジェント端末の4大新トラック産業と、ヘルスケア、スマートデバイス、エネルギー、宇宙、新素材の5つの未来産業のことだ(注5)。

2022年11月、上海市政府は「上海市未来産業イノベーション・ハイランド建設と未来産業クラスターの発展・育成のための行動計画(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」を発表した。この行動計画で定めた5つの産業は、ヘルスケア、インテリジェンス技術(AI、量子技術などを含む)、エネルギー、宇宙、新素材だ。上海市の目標は、2030年までにこれらの産業で生産額5,000億元(約10兆3,000億円、1元=約20.6円)を達成することにある。そもそも「未来産業」とは、中国の工業情報化部、科学技術部によると、最先端の技術によって牽引され、黎明(れいめい)期または産業化の初期段階にあり、戦略性が高く、リードする力が強く、破壊的な影響力を持ち、不確実性が大きく、将来性のある新興産業と定義されている(注6)。

中国の民間シンクタンク・胡潤研究院が発表している「2023年グローバルユニコーン企業リスト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」によると、中国のユニコーン企業(注7)316社のうち、上海市には66社が所在する。その内訳には、AI関連企業8社、半導体企業7社、バイオ医薬品企業5社があり、前述の上海市の3大産業と一致する(注8)。

近年強化される上海市政府のスタートアップ支援

では、上海市ではどのようなスタートアップ・エコシステム形成が進んでいるのだろうか。市政府が2024年1月に公表した「上海科学技術進歩報告2023(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」から、同市のスタートアップ支援の現状を読み解いていきたい。

中国には、認定されることで行政支援を受けられるスキームが複数存在する。例えば、国家の産業発展方針に合致するハイテク分野の製品開発、生産、経営や技術(工程)サービスに従事する企業の中で、科学技術革新能力が強く、市場での競争優位性が際立ち、発展の可能性が大きい科学技術企業が認定される「小さな巨人企業」がある。ほかには、一定数の科学技術者により研究開発を行い、自主知的財産権を取得し、それをハイテクノロジーの製品またはサービスに転換することによって、持続的な発展を実現する中小企業を指す「科学技術型中小企業」などがある。認定と行政支援の例とともに、上海市のそれぞれの企業の状況を表にまとめた。

表:上海市の行政支援スキームの例
支援スキーム 定義 上海市の状況
(上海科学技術進歩報告2023から)
行政支援の例
ハイテク企業 「国が重点的に支援するハイテク分野」のうち、持続的な研究開発と技術成果の応用を行い、企業の核心的な自主知的財産権(注9)を形成し、かつ、これを基礎とした経営活動を展開している企業 新たに認定されたハイテク企業は8,000社以上、有効期限内のハイテク企業は2万4,000社。(2022年の報告書では2万2,000社)
上海市での税控除額合計248億元、控除対象企業3,000社。
企業所得税優遇税率(15%)が受けられる。
経済特区(すなわち、海南、アモイ、深セン、珠海、汕頭)と上海浦東新区内では、2008年1月1日(同日を含む)以降に登記登録を済ませたハイテク企業は、経済特区、上海浦東新区内で取得した所得に対して、企業所得税の「二免三減半」の優遇も受けられる。
「科学技術型中小企業」 一定数の科学技術者により研究開発を行い、自主知的財産権を取得し、それをハイテクノロジーの製品またはサービスに転換することによって、持続的な発展を実現する中小企業 新たにデータベースに登録された企業は2万1,298社(前年比25.8%増)。 研究開発活動に支出した研究開発費について、無形固定資産とせずに当期損益に計上した場合、規定に基づいた控除に加え、2022年1月1日から、その実行額の同額でさらに追加控除できる。無形固定資産になった場合は、2022年1月1日から、その無形固定資産コストの200%として、納税する前に償却することができる。
「科学技術小さな巨人企業」 科学技術小さな巨人企業は、国家と上海市の産業発展方針に合致するハイテク分野の製品開発、生産、経営や技術(工程)サービスに従事する企業で、科学技術革新能力が強く、市場での競争優位性が際立ち、発展の可能性が大きい科学技術企業。前年度の収入などにより、科学技術小さな巨人企業と科学技術小さな巨人育成企業(小さな巨人企業より収入が小さい)の2種類に分類されている。 新規の小さな巨人企業は、155社。総数は、2,808社となった。 上海市の支援対象は、登録3年以上の同市内非上場企業で、ハイテク企業の資格を有効期限内で保有し、科学技術信用管理の条件を満たす企業。2年周期で科学技術小さな巨人プロジェクトを請け負う。上海市レベルの支援として、企業の研究開発プロジェクトに係る研究開発費の20%まで負担する。(科学技術小さな巨人企業には150万元/社を上限に、科学技術小さな巨人育成企業には100万元/社を上限に支給する)
「技術先進サービス企業」 情報技術アウトソーシングサービス企業(ITO)、技術型ビジネスプロセスアウトソーシングサービス企業(BPO)、技術型知識プロセスアウトソーシングサービス企業(KPO)やサービス貿易類企業 新規認定42社、有効期限内243社。
税控除13億1,700万元、146社。
企業所得税優遇税率(15%)が適用される。

出所:上海科学技術進歩報告2023、「上海市科学技術小さな巨人プロジェクト実施方法」の発布に関する通知、科学技術部財政部国家税務総局「科学技術型中小企業評価方法」発布に関する通知、「上海市技術先進型サービス企業認定管理弁法」の発布に関する通知、日本貿易振興機構ウェブサイト内「中国」「ハイテク企業」から作成

質の高いインキュベーターを育成する上海市

上海市が目指すのは、質の高いインキュベーターを育て、その質の高いインキュベーターがスタートアップを育成していく姿だ。2023年6月、陳吉寧上海市書記が推進する「上海市高品質インキュベーター育成実施計画(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」が発表された。同計画の目的としては、「重点産業において専門性を有し、実績のある質の高いインキュベーターの育成を加速することで、イノベーションと起業を促す原動力とすること」と述べている。数値目標としては、2025年までに20社以上の質の高いインキュベーターを育成する。また、モデルケースとして、200社以上のインキュベーター施設を専門化、ブランド化、国際化すべく、転換・アップグレードを推進していくことを定めている。

質の高いインキュベーターとは、どのようにして選ばれるのか。上海市の上海市高品質インキュベーター建設評価管理法(試行)(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますによると、質の高いインキュベーターの推進グループは、上海市科学技術委員会内にあり、政策の実施、評価・査定などを担当している。市科学技術委員会は、第三者専門機関に委託して業績評価を実施し、その結果を公表することが定められている。質の高いインキュベーターとは、一流のインキュベーター人材、科学技術先進企業、有名大学(大学の科学技術パーク)、研究機関、大手投資機関などが主導、一定の条件を備えることとされている。条件については、以下にまとめる(管理法第5条)。

  1. 上海市の「(2+2)+(3+6)+(4+5)」現代産業システムの革新と発展の方向を重視し、特色があり、専門性が高い。
  2. インキュベーションリーダーがインキュベーション関連分野に長く従事し、関連分野の発展動向、技術革新の特徴、産業発展の法則、投融資などに精通し、業界で高い影響力と魅力を持っている。
  3. 専門的なインキュベーションサービスと管理運営チームを有し、技術的、産業的な見識があり、企業管理と市場開拓にたけている。 明確で合理的な発展方針と戦略を持ち、人材育成とチーム作りは先進的で、そのメカニズムは柔軟。
  4. 投資機能を持ち、インキュベーションと投資の連携を実施する。 政府のマザーファンド(注10)と協力し、初期段階のキーテクノロジー出資ファンドの設立に共同出資し、良好な自立性と持続的発展能力を持つ。
  5. 数多くの最先端技術、革命的技術、重要核心技術、「ボトルネック」技術、人材を識別・選別する能力を有し、専門化、ブランド化、国際化されたインキュベーションサービスを提供することができ、イノベーション科学技術企業のインキュベーションと育成で豊富な実績と経験を有する。

2023年11月には7つのインキュベーターが質の高いインキュベーターに選出された(注11)。質の高いインキュベーターに対する経済的支援として、創業時の資金や、毎年の運営補助金(1年目最大1,000万元、2・3年目最大500万元)、業績評価後の優良インキュベーターの報奨金(500万元または200万元)などがある(管理法第13条)。また、当該インキュベーターに所属の人材の出入国、居住、労働許可などの支援も提供される(管理法第14条)。

質の高いインキュベーターに選出された上海市の民間インキュベーターXNodeの周煒最高経営責任者(CEO)は「7社の民間企業が質の高いインキュベーターに認定されたことは、上海市が政府系のスタートアップ支援とともに、民間レベルでの質の高いスタートアップ支援や国際連携も推進していることの証し」と説明する。同社は、中国内外の大企業のオープンイノベーション支援やスタートアップ企業と大企業との協業支援を手掛ける(注12)。

前述の質の高いインキュベーターリスト選出時には、選出理由として「最先端の技術と国際的なリソースをつなぎ、国境を越えたイノベーションとインキュベーションプラットフォームの構築に尽力している企業」であることが挙げられている。実際に、選出されたインキュベーターは、XNodeを含め、いずれも専門性が高く、国際的な強いネットワークを有する。例えば、ATLATLイノベーションセンターはバイオ医学を専門領域とし、上海市内にインキュベーション施設を運営する(注13)。このように、上海市では政府や政府系インキュベーター、民間のインキュベーターが相互に連携し、エコシシテムの深化が進められている。

強みを伸ばし、生かす上海市のエコシステム

前述のスタートアップゲノムのレポートによると、北京市のベンチャーキャピタル(VC)投資額累計(2018~2022年)は1,100億ドルで、上海市の660億ドルを大きく上回る。また、深セン市はものづくり系サプライチェーンが支える勢いのあるエコシステムだ。では、国内の主要エコシステムとの比較で上海市の強みは何か。

「国際貿易都市として栄えた上海市には、欧米系企業のアジアの本社がある。これらの大企業とのオープンイノベーションは上海市の1つの魅力だ」と、日中間のオープンイノベーションを推進する上海市のアクセラレーター「匠新」の田中年一最高経営責任者(CEO)は語る(注14)。上海市には外資系企業がビジネスしやすい商習慣や環境が備わっている。また、上海市を中心とした長江デルタ(上海市、江蘇省、浙江省を指す。政策の対象地域などでは安徽省が含まれる場合もある。)のエリア全体の魅力もある。

野村総研(上海)の張翼社長は、長江デルタの魅力について次のように語る。「長江デルタに位置する浙江省の杭州市は、アリババの本拠地であり、同社が築き上げたデジタル・エコシステムを利活用しやすく、アリババからの資金調達も、し易い環境にある。最近、上海市が中心に取り組んで話題になっているのは、長江デルタ国家技術イノベーションセンター(NICE)だ。NICEでファンドの元となるマザーファンドを作り、民間ファンドからスタートアップ企業に資金が流れる仕組みを作っている。上海市がリードして各省で役割分担し、地域全体の価値を高めていこうとしている」(注15)。NICEは2021年6月に上海市と江蘇省、浙江省、安徽省の関連機関が共同で設立した。主な役割は、このエリア全体の重要な技術の研究を促進することにある(注16)。

このように、上海市は政府と質の高いインキュベーターとの連携でスタートアップ企業を生み、その国際性と長江デルタの中核としての利点を生かして企業を育てていくという姿を描きつつある。


注1:
上海市政府ウェブサイト(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに基づく
注2:
海外進出日系企業拠点数調査(日本外務省)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに基づく
注3:
科創板ウェブサイト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます2019年7月11日付ビジネス短信外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに基づく
注4:
THE GLOBAL STARTUP ECOSYSTEM REPORT 2023外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます (スタートアップゲノム、クランチベース、ディールルーム)に基づく
注5:
上海市政府ウェブサイト(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに基づく。
注6:
「未来産業の革新的発展の推進に関する実施意見(工信部聯科[2024]12号)」(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます (中国工業情報化部、科学技術部など7部門)
注7:
本リストにおけるユニコーン企業とは、2022年12月31日時点で企業評価額が10億ドル以上、かつ2000年以降に設立された非上場企業を指す。
注8:
上海科学技術進歩報告2023に基づく
注9:
自主知的財産権とは、ここでは中国の技術で取得された知的財産権のこと。
注10:
政府の引導基金の1つで、傘下にさまざまな投資ファンドを持つ。
注11:
質の高いインキュベーターリスト(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます(上海市科学技術委員会、2023年11月)に基づく
注12:
XNodeウェブサイト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます、筆者による現地インタビュー結果に基づく(実施日:2024年1月18日)
注13:
ATLATLのウェブサイト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに基づく
注14:
筆者による現地インタビュー結果に基づく(実施日:2024年1月17日)
注15:
筆者による現地インタビュー結果に基づく(実施日:2024年1月17日)
注16:
張江デルタイノベーションセンターのウェブサイト(中国語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに基づく
執筆者紹介
ジェトロ調査部国際経済課
板谷 幸歩(いただに ゆきほ)
民間企業などを経て、2023年4月ジェトロ入構。