特集:アジア大洋州における米中貿易摩擦の影響中長期的には生産移管先として東南アジアに商機(シンガポール)

2019年2月22日

米中貿易摩擦が在シンガポール日系企業に与える影響は、現時点では限定的なものにとどまっているようだ。ジェトロの「2018年度アジア・オセアニア進出日系企業実態調査(以下、日系企業調査)」によると、米中貿易摩擦の影響があると答えた企業は3割強だった。ただ、シンガポール国内では、摩擦が長期化した場合の影響への懸念がある一方、中長期的には東南アジアへの生産移管などプラスの影響を期待する声もある。

サプライチェーン上の影響は、現時点で限定的

日系企業調査によると、「保護主義的な動きによる事業への影響」について、在シンガポール日系企業(回答数:386社)のうち、 29.8%が「影響がある」と答えた。残りは、32.6%が「影響はない」 、37.6%が「分からない」と答え、約7割が現時点では明確な影響を感じていないようだ(図1参照)。

図1:保護主義的な動きによる事業への影響の有無(シンガポール)(n=386)
「分からない」が37.6%で最多である。次いで「影響はない」が32.6%、「マイナスの影響がある」が25.1%、「プラスの影響がある」が8.6%の順である。
注1:
母数は、有効回答数。
注2:
企業によって、サプライチェーン上、「プラス」「マイナス」の影響が考えられるために、「複数回答」としている。
出所:
「アジア・オセアニア進出日系企業実態調査」(ジェトロ)

同調査で「影響がある」とした企業のうち、「マイナスの影響がある」との回答は25.1%、「プラスの影響がある」との回答は8.6%だった(複数選択可)。なお、「プラス・マイナスの影響の及ぶ主な対象」は、いずれも「海外売り上げ(輸出での売り上げ)」と回答した企業が最も多かった(図2参照)。

図2:プラス・マイナスの影響の及ぶ主な対象(シンガポール)
「海外売上(輸出での売上)」が、マイナスの影響51.1%、プラスの影響57.6%、「国内売上(現地市場での売上)」が、マイナスの影響20.7%、プラスの影響30.3%、「調達・輸入コスト」が、マイナスの影響26.1%、プラスの影響9.1%、「生産コスト」が、マイナスの影響8.7%、プラスの影響3.0%、「事務手続き」が、マイナスの影響4.4%、プラスの影響3.0%、「その他」が、マイナスの影響14.1%、プラスの影響15.2%となっている。
注1:
海外売り上げは、輸出での売り上げ。
注2:
国内売り上げは、現地市場での売り上げ。
注3:
母数は、有効回答数。
出所:
「アジア・オセアニア進出日系企業実態調査」

「マイナスの影響がある」とした企業では、中国向けに部品、素材などの中間財や資本財を輸出する企業で影響が出ているようだ。ジェトロ・シンガポール事務所が追跡インタビューを行ったところ、「中国の自動車や鉄鋼メーカーで買い控えがあり、2018年第3四半期(7~9月)ごろから荷動きが減っている(石油製品)」「中国工場で利用される計測制御器の出荷が落ちてきている(電気・電子)」などの回答があった。ただし、日系企業調査における、在シンガポール進出日系企業による輸出先の内訳は、ASEAN(54.5%)が最も高く、続いて日本(17.3%)、インド(4.7%)、中国(3.8%)となっていることからも、シンガポールで中国向け輸出に携わる進出企業は限定的だ。

むしろ、多くの企業にとって、現時点では直接的な影響は少ないものの、中長期的には貿易摩擦の長期化や加速がマイナスの影響を及ぼすとの見方をしている。「米中貿易摩擦は自由貿易を阻害する要因(電気・電子)」「自社製品が関税対象になる可能性があり、今後について懸念(卸売)」「米中貿易摩擦の加速により、米国向け輸出が減少(運輸・倉庫)」などといった声があった。

非日系では東南アジアに既に生産移管の動きも

「プラスの影響がある」と回答した企業は、中長期的にシンガポールを含めた東南アジアが中国からの生産移管の受け皿としてメリットを受けやすいとみている。インタビューを行った企業の中では、「中国向け販売が明らかに下落している一方で、顧客のなかにはASEANへ生産移管を模索する動きが強まっており、生産設備の販売で商機(電気・電子)」「ASEANへ移転のために新規進出した顧客への設備販売が増加(電気・電子)」との回答があった。回答企業によれば、中国からASEANへの生産移管については、中国、台湾、香港などの非日系企業が既に開始、あるいは検討しており、移管先として、ベトナムを筆頭にマレーシア、インドネシア・バタム島などを候補地として挙げているという。 例えば、台湾企業の和碩聯合科技(ペガトロン)は2018年12月6日、バタム島で新たに通信機器を生産することを明らかにした。報道によれば、同社は米国による中国製品への関税賦課を回避し、中国から一部生産を移管する目的でバタムへの進出を決めた。

このほかプラスの影響では、「米国向け輸出にあたって、中国で製造された競合品と比較して、自社製品が相対的に安価になり競争力が増す(電気・電子)」「米中摩擦をきっかけに国際相場が下落し、商材を安く調達できる(商社)」などの回答があった。

日系企業調査で、具体的にどのような対応策を講じるのか、という質問に、「何も変更しない」「分からない」との回答を除くと、図1で「マイナスの影響がある」と回答した企業は「販売先の変更(7.3%)」が、図1で「プラスの影響がある」と回答した企業は「調達先の変更(9.4%)」が多かった(図3参照)。

図3:具体的にどのような対応策を講じるのか(シンガポール)
「何も変更しない」が、マイナスの影響41.7%、プラスの影響46.9%、「分からない」が、マイナスの影響37.5%、プラスの影響34.4%、「販売先の変更」が、マイナスの影響7.3%、プラスの影響6.3%、「調達先の変更」が、マイナスの影響6.3%、プラスの影響9.4%、「生産拠点の変更(一部変更を含む)」が、マイナスの影響4.2%、プラスの影響3.1%、「その他」が、マイナスの影響3.1%、プラスの影響0%となっている。
注1:
生産拠点の変更には一部変更を含む。
注2:
母数は、有効回答数。
出所:
「アジア・オセアニア進出日系企業実態調査」

長期的なサプライチェーンの再構築

地元産業界や学術界からも、米中貿易摩擦がシンガポール国内および東南アジアに及ぼす影響についてさまざまな見解が示されている。シンガポールの調査機関であるDP情報サービス(DP Information Service)が実施した「中小企業調査2018(SME DEVELOPMENT SURVEY 2018)」によれば、アンケート対象の中小企業(回答数2,557社)のうち、19%が保護主義的措置による影響があると回答した。理由として、「輸出競争力の低下(54%)」「海外での売り上げ減少(40%)」「海外での販売計画変更(28%)」が挙げられた。

DBS銀行エグゼクティブ・ダイレクターのイルビン・シーア氏は、シンガポール中華総商会(SCCCI)が2018年11月21日に主催したセミナーで、「シンガポールは貿易依存度の高い小国として、米中貿易摩擦の影響を受けやすい」とし、「企業はシンガポールが形成する自由貿易協定(FTA)のネットワークを生かし、地域サプライチェーンの構造変化に対応することで便益を受けることができる」と指摘した。

シンガポール国立大学東南アジア研究所(ISEAS)客員研究員のヨルゲン・オストロム・メラー氏は、同年10月16日に発表したレポートで、米中貿易摩擦はグローバルサプライチェーンを崩壊させ、とりわけ東南アジア産業界にとっては、中国向け中間財輸出で打撃を受けるが、米国による調達地として代替地になりえるとした。また、長期的にはアジアにおける消費市場の拡大もあり、米国などグローバル市場向けというよりも、東アジア大でのサプライチェーン構築がさらに深化するであろうと分析している。

在シンガポール米国商工会議所(AmCham)が会員企業を対象に実施し179企業が回答したアンケートでは、回答企業の管轄地域の内訳がアジア大洋州(55%)、ASEAN(15%)、グローバル(21%)、シンガポール(9%)と広域であることから、米中貿易摩擦に対応する形で「事業計画を変更」した企業は68%と高い水準だった。また、対応策として、「投資実行の遅延、中止(50%)」「中国以外からの調達によるサプライチェーン変更(38%)」「中国からの生産移管(15%)」などが挙げられた。会員企業の40%は、東南アジアのビジネス環境の魅力が高まると回答した。

執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所次長
藤江 秀樹(ふじえ ひでき)
2003年、ジェトロ入構。インドネシア大学での語学研修(2009~2010年)、ジェトロ・ジャカルタ事務所(2010~2015年)、海外調査部アジア大洋州課(2015~2018年)を経て現職。現在、ASEAN地域のマクロ経済・市場・制度調査を担当。編著に「インドネシア経済の基礎知識」(ジェトロ、2014年)、「分業するアジア」(ジェトロ、2016年)がある。